風早き響の灘の舟よりも‥‥

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−世間虚仮− 自衛官に軍人恩給?

防衛庁が退職自衛官に戦前の軍人恩給にも似た制度の導入を進めようとしている、との報道にわが眼を疑うばかりに驚かされた。
自衛官は国家公務員だから共済年金だが、これに上積みする年金制度を新たに設けようというのである。その理由は、国際平和協力活動への参加や有事法制の整備などで、自衛隊の性格が変容してきたこと。また退職後の保障を手厚くすることで、優秀な人材を確保する狙いもあるとされている。
国会議員や地方議員の議員年金、公務員の共済年金、企業人の厚生年金、そしてそれ以外の国民年金と、各種年金制度の格差や不公平感を是正すべき論議が盛んなのに、その動きに逆行した厚顔で恥知らずな感覚にはまことに畏れ入ったものだが、「日本を普通の国へ」と主張する多くの保守系議員たちには、国土を守るため武器をとって生命を賭す者たちへは特別な計らいあって然るべしで、こううことこそ普通の国のあたりまえの論理だ、となってしまうのだろう。
抑も、軍人恩給制度は早くも明治8(1875)年に生まれ、これが大正12(1923)年には、文官(事務官・技官)や教職員などの恩給と統合され、現行の恩給法となっているが、戦後は公務員共済年金に移行、それまでに退職した公務員については、軍人恩給対象者と同様に恩給が支給されているという。ちなみに今年度の恩給対象者は25万7000人、うち軍人恩給が25万3000人と大部分を占めているそうな。
それにしても、戦後61年を経てなお軍人恩給対象者がこれほどの数にのぼるという事実、戦前の徴兵制、成年男子への召集がいかに徹底していたかを物語る数字かと。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−41>
 有磯海の浦と頼めしなごり波うち寄せてける忘れ貝かな  詠み人知らず

拾遺集、恋五、題知らず。
邦雄曰く、後撰・雑四に均子内親王作の「われも思ふ人も忘るな有磯海の浦吹く風のやむ時もなく」が見え、「忘れ貝」はそれを踏んでの作であろう。「余波(なごり)無み=波」と海の縁語は、文字も含めて一首の中に、真砂や貝殻のように数多散りばめられ、しかもあくまで間接表現で、捨てられた女のあはれを盡した。本歌取りとしては秀れた例の一つと言えるだろう、と。


 風早き響の灘の舟よりも生きがたかりしほどは聞ききや  藤原伊尹

一条摂政御集、わづらひたまひてほとほとしかりつるとて、女のもとに。
邦雄曰く、玄界灘の東北にあたる荒海が「響灘」、歌枕とは言えぬ稀用固有名詞だが、この荒涼たる相聞歌の中では、唖然とするくらい活用された。殊に「聞ききや」との照応は絶妙である。女の返事「寄る辺なみ風間を待ちし浮舟のよそにこがれしわれぞまさりし」。丁々発止、これもなかなかの技巧で、伊尹の激しく苦しい調べを迎えてすらりと交わした、と。


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