大き海の水底深く思ひつつ‥‥

0412190511

Information−Shihohkan Dace-Café−


−世間虚仮− 安部晋三の器量

器量というのは、顔立ちや容貌のことでもあるが、第一義には、その地位・役目にふさわしい才能や人徳、いわゆるその人の器であり度量をさす言葉だろう。
安部晋三は、たしかに甘いマスクだし、彼の人気ぶりもずいぶんとその容貌の良さに負っていると思われるが、人間としての器や度量のほうでは、果たしてそれほどの器量の持ち主なのかどうか。


たしか自民党総裁選は20日投票のはずだが、勝負はすでに決しているかとみえて、気の早いことに選挙前から、党三役や官房長官など、安部体制を支える要の人事が取り沙汰されている。どうやら安部晋三はまだ若いだけに正攻法だが、そのぶん性急に過ぎるようである。


小泉の場合、総裁候補に三度も挑戦したうえでやっと転がり込んだ総理総裁の椅子だったし、一度目も二度目も勝負になるような候補ではなかった。三度目の正直では、橋本総理の経済政策の失敗から世論も自民党も混乱の度が激しかったし、解党的危機のなかで、「自民党をぶっ壊す」とまで言い切った、良くも悪くも徹底した開き直りの小泉の姿勢が、派閥を越えて大きく流れを変えた。
安部の場合、どう見ても小泉路線のなかでスポットライトを浴び、力をつけてきたに過ぎず、その後押しをしたのは岸信介・安部晋太郎につながる系譜ゆえだろう。本人も総理の椅子を目前にして病に倒れた晋太郎の無念や、遠くは60年安保の強行採決で戦後最大の混乱を招きつつも、日米安保体制をいわば不動のものにすることで相対死のごとく退陣した岸信介の、よくいえば政治的信念を、血脈のうちに継承しているという自覚もあろう。その過剰ともみえる自意識が、声高に憲法改定を言い、短兵急に教育改革を言い立てさせているのだろうが、ことはそう容易ではないし甘くもない。「美しい国へ」などという美辞麗句で飾り立ててくれても、現実には国民の多くは同床異夢だろうし、世論のおおかたの支持はそんなところにはない。


安部はたんなるボンボンに過ぎないだろう、と私などには見える。小泉ほどのしたたかさもなければ度胸もない。なかなか外見には注意深く露わにしないが、小泉には僻目もあったろうしコンプレックスも強かったように思われる。それを変人・奇人スタイルで覆い隠してきたのではないか。そういう彼には、権力を手にしたとき、異論も反論もあのワンフレーズで切って捨てるという芸当ができうるのだろうが、どこまでも甘いマスクをした坊ちゃんの安部にはそんな鉄面皮な芸当はできそうもない。主観的に正義と信じ、本道と思うところを誠心誠意?突っ走ることになる。小泉はたとえとんでもない失言や放言をしても、目くじら立てた批判を柳に風と吹き流し、意に介さないふりができる。そういうふてぶてしいところは安部には似合いそうもないし、またあるとも思えない。
自分に降った一過性のブームで得た国民的人気を、小泉は5年余りもとにかくも保持しつ続けた。これは特筆に値する現象だったし、今後もこの小泉現象は何であったか、異能異才の小泉的本質はと、さまざまな人がああだこうだと解読に走るだろうが、そんなことは私にはどうでもいい。
安部は育ちも気質もそのままに、誠実に言葉を立てて、正攻法に論理で迫る。そしてその言葉や論理で躓く。一旦躓くと取り返しがつかなくなる。小泉は不逞な輩だが、安部にはそんな真似はできそうもないから、権力を手にした安部は、小さな失策も針小棒大となって、坂道を転げだしたら早い。戦うまえから決定的に勝ってしまっている安部の栄光は、総理総裁の椅子に着いた瞬間をピークにして、これを潮目にあとは引き潮のごとく急カーブを描いて堕ちてゆくといった、悲惨な図にきっとなるだろう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−43>
 大き海の水底深く思ひつつ裳引きならしし菅原の里  石川郎女

万葉集、巻二十。
邦雄曰く、男の恋歌に、富士山ほど高くあなたを思い初めたという例があり、この女歌はわたつみの深みにたぐえた一途な思慕であった。作者は藤原宿奈麿の妻、「愛薄らぎ離別せられ、悲しび恨みて作れる歌」と注記が添えられる。平城京菅原の婚家の地を裳裾を引いて踏みならした記憶を、如実に蘇らせているのか。第四句が殊に個性的で人の心を博つ、と。


 君恋ふと消えこそわたれ山河に渦巻く水の水泡(ミナワ)ならねど  平兼盛

兼盛集、言ひ初めていと久しうなりにける人に。
邦雄曰く、恋患い、ついに命も泡沫のように儚く消え果てると言う。誇張表現の技競べに似た古歌の恋の中に、これはまた別の強勢方法だが、その水泡が「山河に渦巻く水」の中のものであることが、いかにも大仰で面白い。「つらくのみ見ゆる君かな山の端に風待つ雲の定めなき世に」も、同詞書の三首の中の一首だが、趣を変えて一興である、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。