萩の露けさも干しあへぬ袖にしも‥‥

Dinnershow0610091

−四方のたより− 脱皮せよ、松浦ゆみ

歌手松浦ゆみのデイナーショーにお招ばれしていたのでヒルトン大阪に行ってきた。
従来、客の立場で観たことはなかったから、観ながらいろいろ考えさせられた。
本来はポップス、それもオールディーズポップスを得意レパートリィとする歌い手だけに、リズム感はあるし、歌は上手い。アマチュア時代も含めれば20年は越える年季の入った歌い手である。
それが演歌で一応のメジャーデビューをして6年、ディナーショーもたしか5回目か。
初めのリサイタル公演をプロモートと演出をして以来、ずっとスタッフ付合いをしてきたが、今回初めて純然たる客としてのんびりと観せて貰った訳だ。
客席で彼女のショーを観ながら、考えていたことはただ一点、彼女の歌はなぜ売れないか、ということである。歌はたしかに上手く、ポップスからコテコテの演歌まではばひろくなんでもこなしている。はては鉄砲節の河内音頭まで達者にこなしてみせるが、どの歌も此方の胸に強烈に響いてくるということはなく、もどかしさがどうしても残る。この壁をどうすれば超えられるのか、歌の世界は門外漢だけにあれこれ思い浮かんでもコレと決めつけるだけの根拠が私にはもてない。


昔、といっても90年代だ、星美里という歌手をNHKの歌番組で何度か見かけたことがあった。若いに似合わずとても上手かった。達者というほかない歌唱力で、周囲も期待を寄せたホープだったろう。だがヒットらしい曲も出ないまま、いつの間にかブラウン管から消え去っていた。
それから7、8年も経った頃だろう、はやり唄の「涙そうそう」を歌っている夏川りみが、嘗ての星美里だったと気づいたのはTVで二度、三度と重ねて観た時だった。
「星美里」から「夏川りみ」への変身のごとき事件を、彼女−松浦ゆみにも起こすことは可能なのか否か‥‥。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−67>
 萩の露けさも干しあへぬ袖にしもいかなる色の嵐なるらむ  順徳院

紫禁和歌集、建保三(1215)年七月当座、朝草花。
邦雄曰く、内裏七夕和歌会の作か。この年、順徳天皇18歳、土御門院は20歳、父帝後鳥羽院は35歳であった。秋風の色は数多歌われたが、飛躍して「いかなる色の嵐」とは珍しい。まさに嘗ての宮内卿を凌ぐ早熟の才、この点は父院も一歩譲らねばならぬ。ちなみに定家の息為家は順徳院の一つ下で、当時歌才はまったく見られず、父を歎かせていた、と。


 草葉には玉と見えつつ侘び人の袖のなみだの秋の白露  菅原道真

新古今集、秋下、題知らず。
邦雄曰く、太宰権帥に左遷された道真の憂愁の一首である。草葉に置く霜は今も白珠、それに変りのあるはずはない。だが、世を侘びて流謫の地に在る人、すなわちわが眼には、袖にこぼれる涙も朝夕に繁く置く白露と映る。雑下巻頭を占めるあの高名な哀訴求憐の、悲愴胸打つ作品群もさることながら、一見淡々たる歌の底に見る暗涙は一入悲しい、と。


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