花の色は隠れぬほどにほのかなる‥‥

Osakatokinomonooki

−表象の森− セピア色した昭和30年代−「時の物置」

劇団大阪公演、永井愛・作「時の物置」を、土曜日(10/21)のマチネーで観た。
永井愛はこの10年、紀伊国屋演劇賞岸田戯曲賞読売文学賞など、各戯曲賞を総なめにするほどに評価も高い、今もっとも脂ののった劇作家だが、今浦島の如き私には寡聞にして初の見参である。
このたびの「時の物置」は昭和生活史三部作の一つとされ、舞台は高度成長期の真っ只中、1961(S36)年の東京のとある下町の「新庄家」なる、当時としてはごくありふれた三世代家族に巻き起こる悲喜こもごもの日常が描かれる。
団塊の世代の、おそらくもう少し後の世代であろう永井愛の、すぐれて批評的なウェルメイド・プレイと評される作劇の核心は、その時代を映す「モノ」との関わりにきわだってあるようだ。この「時の物置」では物置の中のテレビがその「モノ」にあたるわけだが、この時代、家の中にやってきたテレビが、どこの家庭でもその家族のありかたを劇的なほどに変えたことだろう。
当日パンフから紹介されたstoryを拾うと
裕福ではないが誇り高い「新庄家」にはまだテレビがない。ところが、何度に下宿するツル子がテレビを貰ってしまい、近所の主婦仲間たちが入り浸り。新庄家の主婦でもある、祖母・延ぶは気が気ではない。娘の詩子夫婦がツル子にテレビを贈ったのは、何か下心あってのことなのだ。息子の光洋は中学教師の傍ら、たった二人きりになってしまった同人誌仲間と私小説を書いている。孫の秀星は大学の自治会委員長選に恋人に引っ張られるように打って出る。大学受験を控えたもう一人の孫の日美は新劇女優を夢みている。それぞれの想いや志、挫折や衝突を通じて起こるさまざまな出来事が、戦後、劇的に変化する昭和という時代の写し鏡ともなって、それぞれの忘れられない「時」が新庄家の茶の間に刻まれてゆく‥‥、となる。


普段は稽古場ともなるアトリエ、谷町劇場での公演は、いつもながらのことだが、舞台美術、照明、音響効果など、そのアンサンブルは万事抜かりなく文句はない。
スタッフの充実ぶりにひきかえ、これまたいつもながら、芯となるべき演技陣の弱体ぶりは久しく、今回の舞台も劇世界を濃密に映し出すには遠いと言わざるを得ない。とりわけ日常的な行動様式のなかにリアリティを失わない演技とはより困難なものであるとしても、この劇団にとって演技陣の育成と充実は急務だろう。
昭和36年といえば私自身は高2だったが、高校時代の3年間と果敢にただひた走りに走ったその後の3年ほどとは折り重なるようにして私にはある、私にとって特別なその時期はたえず戻りゆく原点のようなものでもあり、決してセピア色したレトロな風景などでなく、今なお色褪せもせず擾々として生々しい形のままにあるのだ。そんな身からすれば、この舞台が、作劇の責めに負うことか演技者たちの未熟に拠ることかの判断を措くとしても、なにやら懐かしくもセピア色した風景と化してくるのには、どうしても消化不良を起こしやるかたのない不満を覚えてしまうのである。
昨秋から今年にかけては映画「Always三丁目の夕日」が大ヒットしていたようだが、それより以前ここ十年ほどは、昭和30年代、40年代のレトロ・ブームが巷に溢れ、この頃の街並を再現したショップ空間などがあちこちに見られるようになっているが、このような風俗化ときわどいところで一線を画しつつ、その時代相を鏡に「いま」という時代をアクチュアルに捉え返すという作業は、なまなかなことではできそうもないことと私などには思われる。


アクチュアルな現代の演劇とはうって変わって、日曜の昨夕は、「天羽瑞祥リサイタル」と銘打たれた日舞の会を観るため文楽劇場へと出かけた。
琵琶の奥村旭翠さんが委嘱を受け、四国祖谷渓に残る平家落人伝説に材をとった新作舞踊「風そよぐ」の作曲・演奏をしているためだ。
件の新作は13.4分の小品だが、観たところその舞は四段に分かれ、その都度、人物を演じ分けていたようだが、いささか煩瑣に過ぎたように思う。元々運びがゆっくりとした舞のこと、短い時間での演じ分けはドラマの深化の妨げとなろう。そこで得意とする手技=エッセンスの網羅と堕してしまう。
私は日舞の世界に比べればもっとテンポの早い洋舞の世界に属するが、その日も偶々稽古場で、アスリートから芸術分野に至るまでいっさいの身体表現=身体所作における「普遍文法」について少しばかり語ったのだけれど、その観点から照らしてみても、この天羽流家元を名のる舞い手には、静の所作、動の所作のいずれにもなにかしら「硬さ」が感じられたことを付言しておきたい。それは新作発表への必要以上の意気込みからきたものか、本来の彼女自身の所作のありよう−芸風に因るものかは、初見にて判別のしようもないが。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−77>
 分け来てもいかがとはましその名をも忘るる草の露のやどりは  後土御門天皇

紅塵灰集、忘名難尋恋、親長卿張行恋五十首続歌、応仁二(1468)年七月。
邦雄曰く、唖然とするほど複雑な、凝りに凝った恋歌の題、しかも結果的にはほとんどナンセンスに近い趣向だが、初句から第四句半ばまでの、口籠もりつつ述懐するような調べはふと題を忘れさせる。結句には、人の気配今はすでになく、草茂るにまかせた住家の跡に、呆然と佇む公達の孤影が浮かんでくる。「露のやどり」とは、至妙な象徴の言葉であった、と。


 花の色は隠れぬほどにほのかなる霧の夕べの野べの遠方(ヲチカタ)  藤原為子

玉葉集、秋下。
邦雄曰く、秋草の、白・黄・紫の淡々しい色にうっすらと霧がかかり、しかも、夕月の下の衣の襲色目のように、ゆかしく匂い立つ。「隠れぬほどにほのかなる」の第二・三句の微妙な斡旋は、作者の歌才を示す。しかもそれが、万葉集の歌の一句「「かくれぬほどに」を題に取った、殊更な趣向との詞書を見れば、一入に面白い。花野の扇絵を思わせる一首、と。


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