夕暮の秋のこころを心にて‥‥

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−表象の森− 新訳のG.バタイユ 

光文社が今月より文庫版の古典新訳シリーズの出版をはじめた。
そのなかからさしあたりG.バタイユの「マダム・エドワルダ/目玉の話」を読んでみた。
成程、「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」とのキャッチフレーズを裏切らず、咀嚼された平易な翻訳で読みやすいにはちがいない。


「きみがあらゆるものを恐れているのなら、この本を読みたまえ。だが、その前に断わっておきたいことがある。きみが笑うのは、なにかを恐れている証拠だ。一冊の本など、無力なものに見えるだろう。たしかにそうかもしれない。だが、よくあることだが、きみが本の読み方を知らないとしたら? きみはほんとうに恐れる必要があるのか‥‥? きみはひとりぼっちか? 寒気がしているか? きみは知っているか、人間がどこまで「きみ自身」であるか? どこまで愚かであるか? そしてどこまで裸であるか?」 −マダム・エドワルダの冒頭序文より−


バタイユといえば出口裕弘の訳で「内的体験−無神学大全」を読んだのはもう遠い記憶の彼方。近年ではちくま学芸文庫の「エロスの涙」、訳は森本和夫だったが、「私が書いたもののなかで最も良い本であると同時に最も親しみやすい本」とバタイユ自身が語ったという彼の最後の著書。数多くの図版とともに「宗教的恍惚と死とエロチシズム」を人類の通史のなかで彼独特の論理で概括するといった趣だったが、ともかくエロスとグロティシズムにあふれた図版の豊富さには圧倒されるばかりであった。この書が本国のフランスで発禁処分にされたのは、終章の「中国の処刑」項で、20世紀の初頭、実際にあった「百刻みの刑」の模様を伝える数枚の見るもおぞましい写真を掲載し、論を展開している所為だろう。まことエロスとは死とともにきたりなば、サディズムと通底し、グロテスクの極みをもその深淵に宿すものなのだ。


その彼の小説といえば、これまで私自身接するのは願い下げにしてきたのだが、1970年代前後に生田耕作の翻訳で出された諸作品がかなり流布してきたとみえ、生田訳が定番のごときものとなってきたようである。
このたびの新訳出版の翻訳者・中条省平はあとがきのなかで、「もともと西欧語にとって、哲学的な語彙は日常的な言葉づかいから生まれたものである。それを西欧から輸入し、漢語で翻訳するという二重の外国語を経由して消化した日本語の哲学的語彙とは根本的に違っているのだ。」といい、「エロティシズムと哲学、セックスと形而上学とが荒々しく、直接に接合されている」この特異なバタイユ小説を、生田訳の「漢語を多用する哲学的な語彙と文語調の勢いのよさ」につきまとう難解臭から解き放ち、「日常の言葉と哲学的な表現を無理なく溶けあわせる」べく、訳出の狙いを語っている。
次に引く短編「マダム・エドワルド」終章近くの件りと、先に引いた冒頭序文を併せ読んでみれば、新訳者いうところの事情や狙いがある程度立ち現れてこようと思う。


エドワルドの悦楽――湧きあがる泉は――彼女の胸がはり裂けるほどに――あふれながら、異様に長く続いていた。その淫蕩の波がたえず彼女の存在を輝きで包み、彼女の裸身をさらに裸にし、猥褻さをさらに恥知らずにものにした。女は、恍惚におぼれる肉体と顔を、形容しがたい鳩のような鳴き声にゆだね、おだやかさのなかで疲れた微笑み穂うかべて、乾ききった不毛の底にいる私を見つめた。私は女の喜びの奔流が解き放たれるのを感じた。だが、私の不安が、私の渇望した快楽をさまたげていた。エドワルドの苦しげな快楽は、私にぐったりと消耗を誘う奇跡の感覚をあたえた。私の悲嘆や発熱などなんの価値もないものだが、それらだけが、私が冷たい沈黙機の底で「いとしい女」と呼ぶ者の恍惚に応えうる、唯一の栄光だった。」


いうまでもなく本書所収のもう一篇「目玉の話」は、生田訳では「眼球譚」と題され、バタイユの処女作にしてもっとも人口に膾炙した稀代のグロテスク小説、その新訳版である。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−79>
 夕暮の秋のこころを心にて草葉も袖も分かぬ露かな  飛鳥井雅親

亞槐集、秋、文安五(1448)年九月、内裏月次五十首御続歌に、秋夕。
邦雄曰く、上句に、奇手に近い工夫を凝らし、下句を比較的平明体に仕立てた珍しい文体である。秋の夕暮の侘しさをそのままわが心としてと、深い嘆息をこめて歌い出し、沈思のまま宵闇に紛れる姿、漢詩和訓調をそのまま生かしたかの響きが、この簡潔さを生んだのか。飛鳥井雅経のはるかな裔、二世紀の後にもなお「夕暮の秋の心」に系譜を伝えている、と。


 いかにまた秋は夕べとながめきて花に霜置く野べのあけぼの  藤原家隆

六百番歌合、秋、秋霜。
邦雄曰く、今は荒ぶ花野の眺め、初句はほとんど調子を強めるための囃子に似るが、装飾的な下句に見事に照応している。歌合では左が兼宗の「初霜や秋をこめても置きつらむ今朝色変る野路の篠原」で家隆の勝。この題の傑作の一つに、良経の「霜結ぶ秋の末葉の小篠原風には露のこぼれしものを」あり、第四句を「露は風に」ならばなどと論難が集中、と。


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