秋よ今残りのあはれをかしとや‥‥

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−世間虚仮− 恐れ入谷のSHINJO劇場

曰く、涙の日本一、宙に舞う、大団円、号泣フィナーレ、日本一の花道‥‥。
昨夜の日ハムが中日を降した日本シリーズ、監督より先にチームメイトたちに胴上げされ、宙に舞った新庄剛志
4月の開幕早々、今季限りと異例の引退宣言をして以来、球界きってのパフォーマー新庄は、引退セレモニーに見られるごとく、たえず奇抜な自己演出で、従来にも増してファンを喜ばせ、メディアを惹きつけ続けてきた。その仕上げが日本シリーズ進出、さらには昨夜の日本一とくれば、絵に描いたような幕切れで、出来過ぎのメイクドラマと言うしかないSHINJO劇場だ。
阪神のプリンスから転身したメジャーでの3年間は、彼自身にとっては成功半ば、挫折もまた半ばではなかったか。日本の球界に戻ってきて、阪神に「レギュラーポジションはないよ」と体よく断わられ、日ハム入団とともに新天地北海道へ。帰り新参の3年間はファンサービスのパフォーマンスに徹して、札幌ドームの動員数を福岡のダイエーホークスに迫るまでに急成長させ、とうとう仕上げは日本一とファンを歓喜に酔い痴れさせたSHINJOならば、成程、チームメイトたちに胴上げされるこの結末も、きわめて異例のこととはいえ肯けないではない。
新庄がこれからどんな転身を見せるのかはつゆ知らないけれど、引退宣言から見事な幕切れまでのこの一年で、メディアの評価は数倍してUPするのはまちがいないし、名告りを上げるスポンサーも目白押しだろうから、これから華麗なる転身物語が新たに紡がれゆくことだろう。


今年、花道を飾ったもうひとり、小泉劇場の主役、小泉純一郎は政治家をいまだ辞めるわけにもいかず、郵政造反組復党問題に待った発言をするなど、安倍官邸に対してフリーハンドのご意見番然としているが、80歳を過ぎてまで隠然と君臨した挙句、鈴を着けられた猫よろしく隠居させられた中曽根や宮沢のような末路にはなりたくないだろうし、新庄君に倣ってさっさと政界から引退して、誰もが思いもつかぬ転身を図れば、さぞ壮快にして愉しかろうにと思うのだが、政界という権力の魔力にどっぷりと浸った妖怪たちの棲む魑魅魍魎世界では、なかなかそうもいかないものか。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−80>
 露涙いかが分くべきゆく秋の思ひおくらむ袖のなごりに  後柏原天皇

柏玉和歌集、五、秋下、暮秋露。
邦雄曰く、技法いよいよこまやかに多岐に、ほとんどクロスワード・パズルを思わせるまでに錯雑化する。二句切れの自問を三句以下で自答しつつ、また思い迷う感。「あひ思ふ名残なりせば別れ行く秋の涙と露をこそ見め」は「暮秋」題、ほぼ同工であるが、曲は「袖のなごり」の方がより複雑だ。文亀・永正、和歌ルネサンス期の、代表的な詠風の一例か、と。


 秋よ今残りのあはれをかしとや雲と風との夕暮の時  伏見院

伏見院御集、秋歌中に。
邦雄曰く、京極為兼パトロンとして玉葉集にただならぬ精彩を加える抜群の作者の、なかでも個性横溢した秀歌。春野なごり三月盡しと、秋の果て九月盡しを「あはれ」と思いかつ「をかし」と見る趣向ではあるが、「雲と風との夕暮の時」と、漢詩調の下句をゆるぎなく据えた時、この心象風景は俄に生命を得て、単なる趣向の域を越え、迫ってくるものがある、と。


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