桐の葉も踏み分けがたくなりにけり‥‥

Takahashi_yuji1970

−表象の森− 失敗者としてのバッハ

5日ぶりのUPである。PCに不調があったわけでもなく、とくに何かに忙殺されていたわけではないが、ついついこんな仕儀になってしまった。毎日のようにUPするのがノルマ化してしまっていることに少なからぬ気鬱があるのかもしれない。肉体的な疲労が溜まっていることも事実だが、このところ腰を据えた読みができていないことも関係するようだ。

高橋悠治に「失敗者としてのバッハ」なる一文がある。初出は1973(S48)年というから三十数年も昔のもの。
 ――平凡社ライブラリー「高橋悠治コレクション1970年代」より――

「バッハは西洋の古典音楽にはめずらしく、完全に統合された音楽である。その音楽には、音から音へのたいへん微妙な運動がある。」

「バッハの楽譜は完全ではない。だれの楽譜でもそうだが、楽譜だけによってなにかを伝えるのはまず不可能だ。音符のあいだの関係は書かれているが、連続性は書かれない。音符と音符の関係は、連続性を実現するための枠なのだ。それぞれの音符はある質をもち、次の音符では別な質に達する。質は書かれていないから、推測しなければならない。書かれた部分は、家を建てるときの足場のようなもので、仕事がすんだら、もういらない。−略− 作曲家の意図もまた足場であり、それも捨てることができる。残るものは言葉で表すことができない。だからやるよりほかはない。」

「演奏に対するこの態度は、音楽によって自己表現するロマン的なものでもなく、作曲家の意図や、時には楽譜自体を解釈する古典的なものでもない。」

「バッハのいちばん単純な音階もたくさんの声部をひとつにまとめ、あらゆる音が構造のなかで独自の位置と意味をもつ。あらゆる音がちがう響きをもたなければ、全体はつまらないものになるだろう。音はそれぞれちがう働きと質をもつから、つぶを揃えずに弾くべきだ。これは、粒のそろった、はやい弾き方ができることに集中し、音の質を省みない標準的な演奏法とはちがう技術を要求する。この意味で、バッハは西洋の伝統に属さない。それは孤立した現象である。」

「もうひとつ、あまりヨーロッパ的でないのは、音楽の流れの劇的でない性格だ。劇的な流れは、さまざまな要素をあやつり、クライマックスに達したりなどして、事件をつくりだす。」

「バッハの音楽から感じられるのは、ひとつひとつの音がちがう質をもつので、組合せはたいへん複雑なかたちをつくるということだ。音の自由なあそびだ。形式構造はこのあそびのための枠組である。バッハはこのあそびを見守り、劇的変化で自然な流れを変えないように努めていると思われる。」

「あらゆる演奏は編曲だが、抽象構造に色をつけるということではない。元のものは存在しない。バッハが自分で演奏したものは、彼のやり方にすぎない。音色はひじょうにたいせつだ。−略− 演奏はなりゆきであり、完成品の繰り返しや解釈ではない。演奏するとき、まずすることは聴こうとし、自由なあそびをひきおこすことだ。演奏は西洋流にいえば即興のようになる。その場でその時に起こらなければならないのだから。演奏者は、バッハが作曲するのとおなじ態度で演奏する。起こっていることに注意をはらい、しかも劇的効果のために音の動きをコントロールしてはならない。これは自己表現をあらかじめ排除する。それは、作曲家・演奏者・聴き手がひとつのものである完全に統合された音楽的状況にたいへん近づく。演奏するのは聴き取ることなのだ。」

「バッハは失敗した。彼はしばらく忘れられていた。音楽は彼の方向に進まなかった。いまみんなが彼の音楽にあたらしい意味を見つけようとしているのは、音楽が変わりつつあるからなのだ。音楽は抽象的だから、ある方向にゆきすぎて、全体から切り離されてしまうこともある。ヨーロッパの音楽は極度に発展し、いまや方向を変えるときがきた。スタイルは時代に対応するが、まだ生きているものはスタイルの下にある。これが質であり、態度である。」

「失敗であったというもうひとつの理由は、作品にまとまりのないことだ。<平均律クラヴィア>はたいへんムラだし、<フーガの技法>は未完成で、<ゴールドベルク変奏曲>はとても注意深く計画されたが、全体を聴きとおすのは不可能だ。ある種の音楽は劇的効果なしにも注意をながいあいだ惹きつける。バッハでそれが難しいのは、たぶんその音楽が注意を要求しすぎるからだ。大きな作品はみじかい曲のあつまりに分解する傾向があり、小さな曲はその場かぎりのものにすぎない。バッハはおなじ曲が二度演奏されるよりは、あたらしい曲を書いたほうが多かったにちがいない。このやり方では、作曲はとても即興に近い。いつも未完成だ。−略− 完全な作品は閉じた部屋のようなもので、聞き手の想像力に働きかけない。未完成にのこすのは、全体に風を当てる窓を開けるようなもので、そのほうがよいのだ。」

「第三の理由は、彼の使った構造は彼のような心をうけとめるのに適していないことだ。調性構造や、フーガ形式のように。−略− バッハのフーガはフーガになろうとしているリチュルカーレで、音楽が主題を離れると、はるかに生き生きして自由なあそびに入っていく。ほかの調子でまた主題が表れるのは、そのあとであたらしいエピソードをはじめるための口実といえるくらいだ。」

<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−92>
 桐の葉も踏み分けがたくなりにけりかならず人を待つとなけれど  式子内親王

新古今集、秋下、百首歌奉りし秋歌。
邦雄曰く、上・下句が意味の上では逆になったこの倒置法の、躊躇と動揺の微妙なニュアンスは格別。「待つとなけれど/桐の葉も」とふたたび循環し、諦めと未練は心中で追いつ追われつとなるだろう。しかも品位を保ち、ふと恋歌を連想させるくらいの、最小限の甘美な撓りを失わず、閨秀作品の好もしさを十分に感じさせる、と。


 かりに来て立つ秋霧のあけぼのに帰るなごりも深草の里  鷹司基忠

玉葉集、秋下。
宝治元(1247)年−正和2(1313)年、父は五摂家鷹司家の祖・摂政兼平、大覚寺統亀山天皇の世、関白となる。続拾遺集初出。勅撰入集は計85首。
邦雄曰く、九月、前大納言時継の深草の山荘に一夜泊った時の歌と詞書にあり、歌枕にちなんで伊勢物語深草の鶉、それも女の、「かりにだにやは君は来ざらむ」を取っての作で、後朝の趣濃く、恋歌に部立てしてもよい作。狩と仮、「なごりも深草」等、縁語・懸詞を綴れ織り風に鏤めて情緒を醸し出し、なかなかの眺め。前関白太政大臣の名で入選、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。