見し秋をなにに残さむ草の原‥‥

Teikahyakusyu

−表象の森− 定家百首・雪月花(抄)

塚本邦雄の「定家百首−良夜浪漫」が文庫になった。
それも「雪・月・花−絶唱交響」の雪の章・良経篇が添えられて。
どちらも私の許には、図書館で借りた邦雄全集からコピーした綴本があるが、これは購わずにはいられない。
以下は本書からの一節を抜き書き。


10「わすれじよ月もあはれと思ひ出でよわが身の後の行末のあき」  
   ―― 「拾遺愚草」、花月百首中、月五十首より。


  つひに忘れることはあるまい
  死ののちも
  この秋を
  つきぬ思ひに生きた一生を
  逢はばまたの夜
  みつくした
  末の月光


定家が時として見せる同義語の反復はここでも著しい。わすれじよ、思ひ出でよ、後、行末、秋、その上にあはれと月が重なればもはやご丁寧以上である。勿論意図的な念押しであり、呪文化しつつ読者の心にまつはりつく。
当然これは、景色としての月から遠く隔たった一種の呪物と化し、死後の世界まで照らし出すやうなすさまじい光となっている。
定家の初句切れは、単なる倒置法のそれではなく、もう一廻転して終句体言止に絡み、しかも三句切れの「思ひ出でよ」と重なりあふ。奇妙な追覆曲的手法であり、どこかに転成輪廻の心さへうかがはれる。倒置はすなはち文体の上のみならず、過、現、未なる三つの時間の逆転を錯覚させるまでに構成され、二句の「月もあはれ」はすべてにふりかかる。秀歌とは言へないだらうが、定家の特徴の露骨に見える作品の一つではある。


−今月の購入本−
小松成美「和を継ぐものたち」小学館
丸谷才一三浦雅士鹿島茂「文学全集を立ちあげる」文芸春秋
塚本邦雄「定家百首」講談社文芸文庫
鷲田清一現象学の視線−分散する理性」講談社学術文庫
M.フーコーフーコー・コレクション−3−言説・表象」ちくま学芸文庫
ヤーコブ・ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化−2−」中央公論新社
T.E.ロレンス「砂漠の反乱」中公文庫
N.チョムスキー「覇権か、生存か−アメリカの世界戦略と人類の未来」集英社新書
N.チョムスキーチョムスキー、民意と人権を語る」集英社新書


−図書館からの借本−
高橋悠治「音楽のおしえ」晶文社
小林忠/辻惟雄/山川武/編「若冲蕭白・蘆雪−水墨美術大系第14巻」講談社
桜井英治「室町人の精神−日本の歴史12」講談社
大石直正/高良倉吉/高橋公明「周縁から見た中世日本−日本の歴史14」講談社


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−93>
 秋雨の梢にはるる濡れ色や柳にほそき夕月のかげ  上冷泉為和

今川為和集、四、月。
邦雄曰く、瀟洒な味わいの風景画を思わせる。「梢にはるる濡れ色や」あたり、ようやく落葉し初める道の柳の、侘びしく軽やかな姿が眼に浮かぶ。下句のやや通俗的で常套のきらいある修辞も救われる。為和は殊に柳を好んだようで、家集中にも頻りに四季の柳詠が出没する。16世紀半ばに成った家集は、メモランダム風の記事を含み、興味深いものがある、と。


 見し秋をなにに残さむ草の原ひとつに変る野べのけしきに  藤原良経

六百番歌合、冬、枯野。
邦雄曰く、暗く冷え侘びた、良経独特の調べ。右方人が「草の原、聞きつかず」と難じたのに端を発し、判者俊成が「源氏見ざる歌よみは遺恨のことなり」と、激しく駁論した、曰く因縁つきの勝歌。もっとも「花宴」の朧月夜内侍の歌の「草の原」は墓所を指すのだが、この点如何なものか。この語、源氏以外に出展は多々あろうと思われる、と。


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