さびしさを思ひ弱ると月見れば‥

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−世間虚仮− 年には勝てぬ

どうしたことか、このところ体調芳しくなし。
昨日も今日も、惰眠を貪り、ただ身体を休めている始末。
ことほど疲労が溜め込まれているのだろうか、それにしても情けないことではある。

This used to be easy for me. The years aren't treating me well.
「年には勝てぬ」を英訳すればこういうことになるらしい。

図書館の借本も読み進まないうちに返却期限が迫っている。
本の類もあれこれの書類も折り重なり散らかったままだ。
やおら起き出してみても、なにから手を着けるべきか、心定まらず、漫然と時は過ぎゆく。

師走もすでに8日だというのに、3週間余も滞った所為で「清唱千首」はまだ秋を彷徨う。
ことほど秋の名歌は多いのだろうが、残された歌はまたの機会として、そろそろ冬へと転じねばなるまい。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−98>
 さびしさを思ひ弱ると月見れば心の底ぞ秋深くなる  藤原良経

秋篠月清集、一、花月百首、月五十首。
邦雄曰く、建久元(1190)年の秋、弱冠21歳で主催した花月百首中の傑作。第四句、「心の底ぞ」の沈痛な響きは、8世紀を経た現代人にも衝撃を与えるだろう。月に寄せる歎きは、古来何万何千と例歌を挙げるに事欠かぬが、これほどの深みに達した作は他にあるまい。あるとすれば、実朝の「萩の花」くらいか。この百首歌、他にも名歌は数多ある、と。


 風の音も慰めがたき山の端に月待ち出づる更科の里  土御門院小宰相

後撰集、秋上、題知らず。
生没年未詳、藤原家隆の女、13世紀半ばの女房歌人、土御門院とその生母承明門院在子に仕えた。
邦雄曰く、単なる名月、あるいは田毎の月の美しさを称えるなら陳腐になるところを、風の中の、まだ出尽さぬ月を主題としたのは、さすが大家家隆の息女であった。定家独選の新勅撰集入集はわずか2首だが、続後撰6首、続古今12首等、真価は後世に明らかとなり、総計35首入選。「慰めがたき」には、彼女一人の深い悲しみが籠っているようだ、と。


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