とふ嵐とはぬ人目もつもりては‥‥

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INFORMATION : 四方館Dance Café <越年企画>

−表象の森− 襲−かさね

古来の日本の色彩感覚をよく伝えてくれるものに色の「襲(かさね)」、「襲の色目」がある。
「色目」という言葉自体、色の組合せを指すが、衣の表と裏の色の組合せ、これをとくに「襲」と呼んできたもので、平安王朝期には有職故実としてすでに確立しており、その四季の変化に彩られた色彩感覚は、現代にも脈々と流れている。

「襲」とは今では一般的には「襲う」と用いられ、甚だ穏やかならぬ感もあろうが、「世襲」や「襲名」などの熟語にみられるように、本来は「つぐ、うけつぐ」の意味で、そこから「おそう」が派生してきたようである。
白川静の「常用字解」では、「襲」は「龍」と「衣」とを組み合わせた会意文字だが、「龍−リュウ」と「襲−シュウ」には音の関わりはないようだから、衣の文様とみるほかはない。おそらく死者の衣の上に、龍(竜)の文様の衣を重ねて着せたのであろう、と説かれている。成程、死出の旅路の衣に龍の文様を重ねるとは合点のいくところではある。

平凡社のコロナブックス「日本の色」では、四季とりどりの代表的な「襲の色目」を紹介してくれている。春の「紅梅」「桜萌黄」「裏山吹」「躑躅−つつじ」など、夏には「卯の花」「若苗」「蓬−よもぎ」「撫子−なでしこ」、秋の「女郎花−おみなえし」「竜胆−りんどう」「菊重」「紅葉」、冬には「枯野」「氷重」「雪の下」などなど。色の組合せは類似・類縁から対照的なものまで幅広いが、いずれも自然の事象から採られた名がなにやらゆかしい。


−今月の購入本−
G.M.エーデルマン「脳は空より広いか−「私」という現象を考える」草思社
M.フーコーフーコー・コレクション−4−権力・監禁」ちくま学芸文庫
M.フーコーフーコー・コレクション−5−生・真理」ちくま学芸文庫
ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟−1」亀山郁夫訳/光文社文庫
ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟−2」亀山郁夫訳/光文社文庫
「日本の色」平凡社・コロナブックス

−図書館からの借本−
R.ドーキンス「祖先の物語−ドーキンスの生命史−上」小学館
R.ドーキンス「祖先の物語−ドーキンスの生命史−下」小学館


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−31>
 とふ嵐とはぬ人目もつもりてはひとつながめの雪の夕暮  飛鳥井雅経

千五百番歌合、九百五十五番、冬二。
邦雄曰く、訪れるのは望みもせぬ嵐ばかり、待つ人はつひに訪れもせぬ。「とはぬ人目」がつもるという零の加算に似た修辞が一首に拉鬼体の趣を添へる。下句の直線的で重みのある姿もさすが。左は隆信の「春秋の花か月かとながむれば雪やはつもる庭も梢も」。いささかねんごろに過ぎて、煩わしい凡作だが、藤原季経の判は「持」。美学の相違であろう、と。

 冬の夜の長きをおくる袖ぬれぬ暁がたの四方の嵐に  後鳥羽院

新古今集、雑中、題知らず。
邦雄曰く、院二十五歳、元久2(1205)年の、新古今集竟宴寸前、三月十三日の日吉三十首中の秀作。源氏物語「須磨」に、光源氏が「枕をそばだてて四方の嵐をききたまふに」のくだりあり、見事な本歌取りだ。きっぱりとした上・下句倒置が、まことに雄々しい。本歌にはまた、元真集の「冬の夜のながきをおくるほどにしも暁がたの鶴の一声」を擬する、と。


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