佐保川にさばしる千鳥夜更ちて‥‥

Mangetsu

−四方のたより− まんげつのよるまでまちなさい

昨夕、幼な児を保育園へと迎えに行った帰路のこと。
「あっ、満月や」と大きな娘の声に惹かれて夜空を見上げると、まだ十三夜か待宵だろうが、円い月が東の空にかかっていた。
「ほんまや、円いお月さんやネ、満月が近いんやろネ」と相槌を打ちながら、以前、娘にあげた絵本のことが頭をよぎったので、「まんげつのよるまでまちなさい、ってのがあったネ」と言い添えてみる。
娘は小さく頷いたようだったが、その絵本のことを思い出しているのか、黙ったままなにやら思案気な様子で家に入っていったのだった。
台所で母親がせっせと夕食の支度をしているわずかな時間を居間で寛いでいると、いましがたごそごそと探しものでもしていたかと見えた娘が、件の絵本を両手に抱えて、いつも保育園の先生たちが読み聞かせをしてくれるそのスタイルで、−このところ彼女が絵本を読む時は先生たちの読み聞かせスタイルを真似しながらするのが定番なのだが−、声には出さないもののだれかに語り聞かせるがごとく読み出したのには、先刻のやりとりの付会もあって、まだまだ幼な児とはいえその思考回路は、刺激と想起と興味や関心などが絡み合って、意外なほどにしっかりと連続性を有しているものだ、と気づかされ少々驚いたものである。


マーガレット・W・ブラウン作の「まんげつのよるまでまちなさい」は絵と本文32頁でなり、描かれるディテールも豊かでいろいろと交錯しつつイメージを膨らませていくから、この頃の子どもにとっては、読み聞かせで読んで貰うにはともかく、自身で読み通すには些か根気も要るし、あらすじを追い全体像を掴むにはまだ無理があるだろうと思われる。この絵本の良質な部分を充分その心に響くほどに鑑賞するにはおそらく7.8歳児ほどの成熟を要するのではないか。満5歳の娘の想像や理解がとてもそこへは届くまいが、なにはともあれその長さを読み切ってしまう根気にはちょっぴり脱帽しつつ、なぜそれが可能なのかと考えてみれば、おそらくはその読み聞かせのスタイル、保育園の先生たちに自身を託して読み聞かせごっこをするその快感、居心地の良さが、彼女の根気を支えているのだろう。


話は変わるが、この絵本が私の手許に残されたことについて、ついでながら書き留めておこう。
’92(H4)年の秋だからもう14年前にもなるが、ひょんなことから子どもたちのミュージカルの舞台づくりに関わることとなって、監修や演出をしたのがこの絵本を題材に、タイトルもそのものズバリ「まんげつのよるまでまちなさい」の舞台だった。出演した子どもたちは小学校6年生を筆頭に下は4.5歳児まで30数名で、劇場は当時まだ真新しかった奈良県の河合町まほろばホール。王寺町界隈で子どものためのジャズダンスサークルを立ち上げた吉村小佳代のハニーダンスクラブに集った子どもたちの初舞台であり、主宰の吉村小佳代自身初めての舞台づくりへの挑戦であったのだが、そのためでもあろう、彼女は一年ほど前から振付法などを習得するべく私の稽古場へ週1回通ってきていた。この絵本を底本にしてシナリオづくりから稽古を重ねて本番へと実際的な準備だけで4.5ヶ月かかったかと記憶するが、出演者も子どもたち以外に、ソプラノ歌手の岩井豊子さんや朗読の三岡康明氏や舞踊のデカルコ・マリィなど、さらには作曲家や演奏家諸氏も煩わしたから、かなりの本格的な取り組みとなった舞台である。ここまでの仕掛けをするには短期間ながら私の知るかぎりの吉村小佳代にはとても手に負えるものと見えなかったのだが、そこにはやはり影の仕掛け人が居るもので、その女性は馬場善子という病院関係者だったと記憶する。彼女はどこにも名前を出していないしまったく影の存在だが、実質的にプロデューサー的手腕を発揮していたから、その折り確かめたわけではないが、おそらくはこの絵本をタネに子どもミュージカルをという発案自体、彼女のものではなかったかと思われる。舞台づくりにはすぐれて企画者の眼と手腕こそ肝要というものだが、素人ながら馬場善子にはそのセンスがあったといえよう。


さて、14年を経て、あの30数名の子どもたちはどんな成長をみせているのだろうか。その後、ハニーダンスクラブがどうなったかも知らないが、手許に残るは一枚のパンフレットとこの絵本のみだ。それが今は5歳の幼な児所有の絵本となって、読み聞かせごっこを眼前で演じられては、感慨の想いの馳せぬはずはない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−48>
 吉野なる夏実の河の川淀に鴨そ鳴くなる山陰にして  湯原王

万葉集、巻三、雑歌、芳野にて作る歌一首。
夏実の河−大和の国の歌枕。夏箕川とも。奈良県吉野町菜摘付近を流れる吉野川上流の呼称。
邦雄曰く、冬にのみ来て棲む鴨を「夏実の河」に配したところ、しかもそれが実景であるところにも、この歌の隠れた面白みは感じられよう。現在にも「吉野町菜摘」の地名が残っており、吉野川上流のこの辺り一帯を菜摘川とも呼ぶ。夏実・菜摘ともに美しい。志貴皇子の子、万葉には父を上回って20首に近い入選。温雅な作風をもって聞こえた歌人である、と。


 佐保川にさばしる千鳥夜更(ヨグタ)ちて汝が声聞けば寝ねがてなくに  作者未詳

万葉集、巻七、雑歌、鳥を詠む。
佐保−大和の国の歌枕。奈良市の北部界隈。「佐保山」「佐保川」「佐保の風」など。「佐保姫」は春の女神。
佐保川春日山に発し、初瀬川と合流、大和川に注ぐ。千鳥、川霧、紅葉、柳などが歌われる。
邦雄曰く、川瀬を走り歩く千鳥の姿が第二句で躍如とする。作者は闇の中に、躓くように小走りに右往左往する鳥の姿を想像する。眠れない、その、今ひとつの理由は言わず、相聞に傾かぬところもかえって珍しい。「佐保川の清き川原に鳴く千鳥かはづと二つ忘れかねつも」は夏と冬の河の景物を並べたのであろう。かはづは河鹿、千鳥のみのほうが遙かに思いは深い、と。


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