この頃の夜半の寝覚めはおもひやる‥‥

山頭火句集 (ちくま文庫)

山頭火句集 (ちくま文庫)


Ichibun981127049

−四方のたより− 肩鎖関節脱臼とか

身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め、とかや。
この世に生を享けて60余年、傷病の類にはつゆ縁もなく無事に過ごしてきた身も、寄る年波ゆえか、
先の日曜はいつものごとく稽古場にて、孫にも見まがう幼な児相手に遊び興じた際に、足を滑らせズッテンドウともんどりうって左肩から落ちれば、激痛が走っていっかな身動きならぬ。
肩の脱臼かと、そろりそろりと近くの接骨院の門を叩いて診て貰えば、肩鎖関節の脱臼だろうという。
腕を絞るように引っ張ること二度三度と応急手当をしてくれ、ほんの少し楽になったところでテーピングの処置。
親切に電話で船員保険病院や多根病院をあたってくれたが、近頃は制度代わりで新患の救急外来は受け付けぬという。
足の遠い病院に入院するより家の近くでと、翌日、住吉市民病院で診て貰えば、鎖骨が肩甲骨からぽっかり空いて浮き上がったレントゲンを見せられ、即日午後から入院。
翌朝9時からの手術は、事前に医師から説明があったが、「経皮的ピンニング」術とかで、浮き上がった鎖骨を押さえ込みながらワイヤー状の鉄線を挿入して固定するというもの。
所要時間は1時間半位だったろうか、神経麻酔と局部麻酔だったから意識は明瞭、最後に2本の鉄線をペンチレスかなんぞでグリグリと力任せに切断する金属音が耳元でやけに響いた。
直後の接骨院での応急処置がよかったのだろうか、術後の痛みもさほどなく経過は良好のようで、一日置いてさっさと本日午前に退院。
初体験の入院生活は3泊4日のごく短いものだったが、それでも手術の翌日など24時間手持ち無沙汰この上なく、ひさしぶりに読書は進んだものの、病院暮らしとはよほどストレスが嵩じるもので、身体髪膚の教えに遵い、ずっと孝行者でありたいとつくづく思う。
しばらくは固定バンドで身動きもままならないが、7ヶ月続いた苦行の配達も休業の療養暮らしとなれば、かえっていい充電期間となるやもしれぬ。
むしろこれ、天の配剤というべきか。



<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−50>
 浦風の吹上げの真砂かたよりに鳴く音みだるるさ夜千鳥かな  飛鳥井雅有

隣女和歌集、二、冬、千鳥。
邦雄曰く、乱れる千鳥の声に先だって、第二句を「吹上げの真砂」と八音としたあたり、音韻上の配慮と歌の光景が響き合う心憎い手法である。同題で七首あり、他に「浦伝ふ夕波千鳥立ち迷ひ八十島かけて月に鳴くなり」や「佐保川の汀の氷踏みならし妻呼びまどふさ夜千鳥かな」等、こころもち万葉を匂わせて尋常な詠風であるが、いずれもこの歌に及ばぬ、と。


 この頃の夜半の寝覚めはおもひやるいかなる鴦(オシ)か霜は払はむ  小大君

拾遺集、雑一。
鴛鴦(エンオウ)−オシドリ、鴛は雄、鴦は雌のオシドリをさす。
邦雄曰く、源親光の北の方が他界した頃、ある霜の朝詠み贈ったとの詞書あり、弔問慰撫の心を込めた作ではあろうが、その実は、この頃はどのような鴛鴦の雌が、貴方の羽の霜を払っているのか推し量っておりますと、悼みどころか、立ち入った穿鑿に類する挨拶。後拾遺集巻頭に、破格な新年詠を採られた異風の女流ゆえに、なるほどと微笑を誘われる、と。


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