飽かざりし夏はいづみのいつの間に‥‥

Biwanokai070225

−四方のたより− 琵琶の調べごあんない

毎年弥生の頃に開かれる筑前琵琶の奥村旭翠門下による琵琶の会も、数えて17回目となる今年は明後日の2月25日。
連れ合いの出演もたしか5度目か6度目になろうが、ゆるりゆるりの手習い事とて、昨秋ようやく「旭濤」なる号を得て初めての会となる。
昨夏、人間国宝の山崎旭萃嫗が100歳の天寿を全うされて逝かれた所為で、その直門から数名の高弟が一門に加わるようになって、この琵琶の会も些か充実の様相を呈している。
初心者から師範まで総演目20を午前11時から6時間近くを要する長丁場なれば、プログラムを眺めつつ適宜つまみ食いならぬつまみ聴きを心得るが賢明の鑑賞かと思うが、なにしろ出入り自由の無料の会、休日の閑暇なひとときを気儘に琵琶の音に聴き入るも一興かとご案内する次第。
連れ合いの末永旭濤の演目は「文覚発心」とか。
この説話は「源平盛衰記」巻18にある「袈裟と盛遠」譚に発するものだが、古くは浄瑠璃や歌舞伎に採られ、現代においても舞台や映画にさまざま題材となってよく知られたものだ。芥川龍之介にも「袈裟と盛遠」題の掌編がある。
菊池寛原作で衣笠貞之助が監督した「地獄門」もこの話をタネにしている。長谷川一夫と京まマチ子主演のこの映画は’54年のカンヌ映画祭でグランプリを獲ている。
他の演目、出演者から敢えてお奨めを紹介すれば、若手中堅ながら「羅生門」の新家旭桜、「井伊大老」の吉田旭穰あたり。勿論、師範の娘二人を従えて奏するというトリの演目、奥村旭翠の「那須与一」を聞き逃してはなるまいが。

<奥村旭翠と琵琶の会>
2月25日(日)/午前11時〜午後5時頃
国立文楽劇場3F小ホールにて、入場無料


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−57>
 飽かざりし夏はいづみのいつの間にまた埋み火に移る心は  後柏原天皇

栢玉和歌集、六、冬、埋火。
邦雄曰く、陰々滅々として陰鬱の気一入の歌の多い冬、しかも埋み火詠中、この一首は意外な軽やかさと親しみに満ちている。上句が清冽な噴井の水の光を想い起こさせ、第四句で時の流れの早さを暗示するあたりに、別趣の面白さが生まれたのだ。「閨寒き隙間知られで吹きおこす風を光の埋み火のもと」は、「寒夜埋火」題。一風変わった情景を見事に描き得ている、と。


 木の葉なき空しき枝に年暮れてまた芽ぐむべき春ぞ近づく  京極為兼

玉葉集、冬、題を採りて歌つかうまつり侍りし時、冬木といふことを。
邦雄曰く、裸木を眺めつつ、一陽来復を願う心であろう。歳末の感慨を、「空しき枝に年暮れて」と歌ったところに、この歌の命が宿る。枝の空しさは、わが身の上の虚しさ、初句はいかにも丁寧に過ぎるが、願いをかけながら、近づく春も恃めぬような暗さを帯びるのも、上句の強調によるのだ。為兼の波瀾万丈の生涯を思う時、この待春歌も一入にあはれ、と。


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