いかにせむ霞める空をあはれとも‥‥

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−表象の森− フランスの女性参政権

1789年の人権宣言をもって革命の先駆をなしたあのフランスにおいて、女性の参政権が認められたのは、第二次世界大戦終結を目前にした1944年であったという、工藤庸子の「宗教vs.国家」書中の指摘には驚きを禁じ得ないと同時に、おのれの蒙昧を嘆かずにはいられない。
日本における女性参政権の施行が終戦直後の1945年なのだから、欧米の近代化に大きく立ち遅れた後進のわが国と同じ頃という、フランスにおけるこのアンバランスな立ち遅れはいったいなにに由来するのか。
女性参政権において、世界の先陣を切ったのはニュージーランド1893年。1902年にはオーストラリア。‘06年のフィンランド、‘15年のデンマークアイスランドが続き、‘17年のロシア革命におけるソビエトとなる。
‘18年にはカナダとドイツ、アメリカ合衆国は‘20年で、イギリスはさらに遅れて‘28年だが、
1789年の革命において国民主権を謳い、1848年の二月革命によって男子の普通選挙を実現するという世界の先駆けをなしたフランスが、女子においては諸国の後塵を拝するというこのギャップの背景には、一言でいえばどうやら圧倒的なカトリック教会の支配があったようである。フランス国内にくまなく根を張ったカトリック修道院の女子教育などに果たした歴史的かつ文化的役割は、われわれの想像の埒外にあるらしい。
1866年の調査によれば、フランスの総人口約3800万人のうち、3710万人がカトリックであると答えているという。プロテスタントは85万人、ユダヤ教徒は9万人にすぎない、というこの圧倒的なカトリック支配と、数次にわたる革命による共和制の進展が、どのような蜜月と闘争を描いてきたのか、その風景ははるかに複雑なもののようである。


先月の購入本について機会を失したままに過ぎたので、ここに併せて記しておく。
今月も先月も、世界史関連の書が多くなった。いまさら自身の知の偏重ぶりをそう容易くは修正できそうもないけれど、ゆるゆるとながら挑んでいきたいもの。
文芸春秋4月号」は「小倉侍従日記」が特集されていたのに興をそそられて。昭和天皇の戦中におけるナマの発言のいくつかは衝撃に値する。半藤一利氏の行き届いた詳細な注がありがたい。


−今月の購入本−
F・ドルーシュ「ヨーロッパの歴史−欧州共通教科書−第2版」東京書籍
柴田三千雄フランス史10講」岩波新書
坂井栄八郎「ドイツ史10講」岩波新書
若菜みどり「フィレンツェ」文春文庫
T.G.ゲオルギアーデス/木村敏・訳「音楽と言語」講談社学術文庫
DAYS JAPAN -戦乱のイラク−2007/04」ディズジャパン
「ARTISTS JAPAN -10 喜多川歌麿デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -11 伊東深水デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -12 佐伯祐三デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -13 狩野永徳デアゴスティーニ


−3月の購入本−
文芸春秋 4月号/2007年」文芸春秋
木下康彦他編「詳説世界史研究」山川出版社
Th.W.アドルノ「不協和音」平凡社ライブラリー
ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟−3−」亀山郁夫訳/光文社文庫
J.ジョイス「フイネガンズ・ウェイク −1−」柳瀬尚紀訳/河出書房新社
見田宗介宮沢賢治 −存在の祭りの中へ」岩波現代文庫
工藤庸子「宗教vs.国家」講談社現代新書
DAYS JAPAN -老い-2007/02」広河隆一編/ディズジャパン
DAYS JAPAN -世界がもし100人の村だったら-2007/03」ディズジャパン
「ARTISTS JAPAN -6 上村松園デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -7 雪舟デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -8 竹久夢二デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -9 棟方志功デアゴスティーニ


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−65> 
いかにせむ霞める空をあはれとも言はばなべての春の曙  宗尊親王

柳葉和歌集、弘長三年六月、当座百首歌、春。
邦雄曰く、含みのある初句切れと句またがりの三・四句、工夫を凝らした珍しい春曙で、詩歌の鬼才の面影はこれ一首にもうかがへる。しばしば実朝に擬せられるが、文永11(1274)年、32歳の夭折も、また相通じ、「なべて春の曙」にこめた悲しみは心を搏つ。だが世に言われるような万葉振りなど認められず、むしろこれは新古今調の蘇りと言いたい、と。


 かげろふのほのめきつれば夕暮の夢かとのみぞ身をたどりつる  よみびと知らず

後撰集、恋四、女につかはしける。
邦雄曰く、蜻蛉のように、陽炎のように、仄かに見た一目の恋の歌は、すべての詞華集の後半に鏤められる。よみびと知らずゆえに、この「夕暮の夢」はなほあはれである。続く返歌は「ほの見ても目馴れにけりと聞くからに臥し返りこそしなまほしけれ」。たけなわの春の白昼夢めいた調べは、二つの蜻蛉が縺れて空に漂っている趣あり。蜻蛉は「蜉蝣目」の総称、と。


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