夕月夜しほみちくらし難波江の‥‥

07042108

−世間虚仮− 初舞台

 今日は娘のKAORUKOにとって初体験のピアノの発表会。
これまで触れたことはなかったが、彼女は昨年の4月からピアノ教室に通いはじめていた。週1回、土曜の午後のことだが、土曜日の保育園はお弁当持参とあって、それが楽しみの彼女は決して保育園を休もうとはしない。
それゆえ午後3時過ぎから阿倍野の北畠にある教室へとレッスンに通うのは、幼な児には気力・体力ともにかなりきつかったはずである。ましてや、人見知りの強い子ゆえ、通いはじめた頃の彼女は案の定相当なこわばりを見せ、ずいぶん先生や若い助手さんの手を焼かせたものだったから、果たして続くものかどうか心配されたものである。
それが2ヶ月、3ヶ月と経て、どうにか教室の雰囲気にも慣れ、その心配も取り越し苦労となってほっとしたものだった。
先生の名は松井登思子、50歳前後と見られるから、ずいぶんベテランの先生だが、その教授法はなかなか異色と見えて、この松井音楽教室には幼稚園児から小中生、はては高校生や大人まで百数十名が通うという大所帯で、繁盛このうえない。
幼な児の通う土曜の午後など、ひきもきらず生徒がやってくる。先生直々のピアノレッスンはほんの15分ほどだが、器材を用いた指の訓練やリズム感の訓練、さらには筆記の教材までやらせる。まだ読み書きも覚束ない幼児にも、音符を読ませたり書かせもする。
そんなこんなで教室滞在は約1時間に及ぶ。宿題もかなりの量を課すから、わずかな時間でも毎夜母親が付き合ってやらなければ、遅れがちとなってしまう。
この教室ではピアノの演奏技術だけでなく、ピアノを通して音楽教育を総合的に取り組んでいくのが真骨頂とみえる。それを良しとしても、なにしろ此方は毎日朝から夕刻まで保育園に通う子どもなのだから、遅い夕食やら入浴を済ませてから、さて復習をといっても眠気をもよおす頃でいっかなはかどらない。
唯一休日のはずの日曜日は、我々親のほうの稽古だから、親子ともども稽古場へと出かけるのがきまりで、これまた一日仕事と相成るから、彼女にも一日とて休みがないこととなる。
わが家では親たちばかりではなく子どももまた、その煽りをくってかまことにオイソガ氏なのだ。
かように振り返ってみれば、この一年、彼女もまたよく頑張ってきたものである。

 人見知りの強ばりっ子で、頑張りやの彼女の、今日の晴れ舞台は、一応合格点だった。
出番前、緊張で、両の拳を固く握りしめていたという彼女だが、ともかくも先生に伴われて舞台へと登場した。
演奏前のお辞儀などとてもできないほど、顔も身体も頑なにしゃちほこばっているのが客席からも手に取るようにわかったが、それでもピアノの前に座れば、指の力も抜けていつもの曲を弾きはじめた。
演奏はあっという間に終わったが、彼女にしてみれば、1分が1時間にも匹敵するものだったろう。
会場の阿倍野区民センターへは、自転車2台を連ねての行き帰りだったのだが、汗ばむほどの陽気のなか、風を切りながら帝塚山の下り坂を走らせる母親の後ろで、ご機嫌の彼女は解放しきった笑顔をふりまいていた。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−67>
 夕月夜しほみちくらし難波江の蘆のわかばに越ゆる白波  藤原秀能

新古今集、春上、詩を作らせて歌に合せ侍りしに、水郷春望。
邦雄曰く、後鳥羽院最愛の北面の武士秀能21歳の晩夏6月、元久詩歌合作品。難波潟満潮時、黄昏時の月明り、囁き寄せる波、頸える蘆の若葉。銀と白と薄緑の映り合う絵のような大景。潔い二句切れ、悠々たる結句、さすが出色の作。「身のほどよりも丈ありて、さまでなき歌も殊の外にいで映えするやうにありき」と院に褒められたのもむべなるかな、と。

 花鳥のほかにも春のありがほに霞みてかかる山の端の月  順徳院

邦雄曰く、花鳥風月、雪月花、いずれの季節にも月は欠くべからざるもの。月なくてなんの春ぞの心を作者は擬人法で表現する。やや理の勝った、むしろ古今集的発想が、13世紀にはかえって新しげにも見える。第三句は当然好悪、是非の分かれるところだろうが、春月の歌としては忘れ難い。後鳥羽院に殊に愛された帝の、抜群の歌才の一面を伝える作品、と。

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