夢ならで夢なることを歎きつつ‥‥

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−四方のたより− 連句的宇宙への誘い

一昨日の日曜の稽古には、二週間ぶりにピアノの杉谷昌彦氏、コントラバスの森定道広氏も揃った。
衣装の法月紀江、照明の新田三郎、写真の横山浩一とスタッフも揃い踏み。
そこで通し稽古に入る前、演奏について、些か想うところあって構成のあり方に注文を出したところ、侃々諤々というほどでないにしても、予期せぬディスカッションとなってしまった。
ともに即興とはいえ、情緒的な乗物を媒介にしつつその空間に棲まいつづけ、一時間あまりの長丁場をものともせず、ひたすら在りつづける独舞をもっぱらとする舞踏とは異なって、視覚を頼りに造形表象しようとする舞踊にとっては、自ずと生まれ出てくる表象の重ねを見通しうるパースペクティブの把持は、それほど長くはない。
ましてや、踊り手3人で絶え間なく共時的に生まれ出てくる表象の世界を、その瞬間々々を各人が各様に感受しているとしても、全体を見通すパースペクティブを把捉しつつ即興していくことの困難さは望外のものだろう。
前回の稽古で初顔合せともなったコントラバスとピアノの掛け合いは、休憩を挟んで30分ずつの2部構成とするより、一気に1時間余を音の氾濫としていくほうが、音世界としてはぐんと面白くなりそうだということが判ったのだが、やんぬるかな踊りのほうはそうはいかないのだ。
その決定的なといわぬまでも遠い隔たりを前に、さしあたり如何に決着するかは大きな問題だった。それゆえの問いかけだったのだが、議論は右に左に揺れつつ、1時間あまりを費やしてしまった。
決して貴重な時間を空費したわけではない。収穫はあった。
その収穫を、今度の会ではかなりの程度あきらかにできるだろう。


5月9日(wed)と10日(thu)、DanceBoxに登場する
SHIHOHKAN IMPROVISATION STAGEは「連句的宇宙」と名づけた。
踊りは、当初の構想どおり、
KASANE−襲−
NOIR, NOIR, NOIR−黒の詩−
と題された2部構成となる。
詳しくは−コチラ−または−コチラ−をご覧頂きたい。


もう一つ、私のひとり芝居「うしろすがたの――山頭火」が
神戸学院大学が毎年初夏に一般公開としておくるグリーンフェスティバルに招聘をを受けた。
こちらは6月9日の土曜の午後3時から。
会場は、足の便が悪いが、学院内のメモリアルホール(9号館)。
詳しくは−コチラ−または−コチラ−をご覧願いたい。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−68>
 花も木もみどり霞む庭の面にむらむら白き有明の月  三条西實隆

雪玉集、一、春、春暁月。
邦雄曰く、常盤木の群の中にひそむ桜樹を春月が照らす。「みどりに霞む」「むらむら白き」の、秀句表現をわがものとして、夢幻的な光景を創造した。「残る夜の月は霞の袖ながらほころびそむる鳥の声かな」も同題、こちらは聴覚に訴えた。宗祇から古今伝授を受けた16世紀初頭有数の文人、能筆で、源氏物語六国史等の貴重な証本を残した、と。


 夢ならで夢なることを歎きつつ春のはかなきものおもふかな  藤原義孝

藤原義孝集、春、人のよめといひしに。
天暦8年(954)−天延2年(974)。藤原伊尹の子。右近衞少将、正五位下。疱瘡に罹り双生児の兄挙賢は朝に、義孝は夕に夭折。才貌優れ、出家の心厚かったと伝える。後拾遺集以下に12首。小倉百人一首に「君がため惜しからざりしいのちさへ長くもがなと思ひけるかな」
邦雄曰く、名筆行成の父であり、その華やかな才質は宮廷に隠れもなく、残された120首未満の家集は、秀歌絶唱に満ちている。夢に夢みるのがすなわち現世、その歎きはこの時代に繰り返し、すべての歌人に歌われているが、下句の「春のはかなきものおもふ」の、繊細な虚無の響きは、さすが義孝と思わせる。天延2(974)年、満二十歳を一期として急逝、と。


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