うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の‥‥

0511291891

−四方のたより− Thank you,Green Fes.

昨日、久方ぶりの山頭火上演も無事終了。
リハ、本番と重ねるとさすがに心身疲労、第2神明大蔵谷からの復路の運転はさすがに少々きつかった。
とはいえ、良い機会を得たことには大いに感謝しなければならない。
伊藤茂教授よ、まことにありがとう、である。

それにしても、Green Festivalというこの企画、会場となっているメモリアルホール完成が1988(S63)年、その年から地域開放の一環として毎年春秋に開催されてきたというから、地道な活動ながら立派なものである。
案内チラシによれば、このたびの「山頭火」上演が第255回となっているから、春秋毎に6〜7つの異なるステージを招聘し、20年続けてきたことになる。
その間、演劇関係の企画、演目の選定は、もっぱら伊藤君の務めるところであったろう。会場ロビーに第1回からのポスターがズラリ展示されていたが、演劇関係に限れば40公演ほどになるか、その演目の幅の広さと先取性に、彼の見識のほどが覗える。
この日の公演には、当方に格別の責めはないとはいえ、客足のほどが心配された。なにしろ800席を擁するホールなのだから、広い会場に閑古鳥の鳴くようなさびしい客席となっては、演じるほうとしてもやるせない。
従来演劇関係は金曜日の公演が多かったというが、このたびは土曜のこととて学生たちの観劇はほとんど望めないだろう、とそんなことを聞かされていたから、此方は蓋を開けるまでおっかなびっくりだったのだ。
ところが意外や意外、緞帳が上がって、いざ出番と舞台から客席をゆるりと眺めわたしてみれば、中段あたりまではかなりの埋まり具合、思わず快い緊張感が走ったものである。
あとで確かめれば、250人余りだったという。私なぞは100人前後なんて哀しいような結果をも思い描いていただけに、充分に盛況と評価していいものだ。
山頭火はともかくこれを演じるほうの私にはなんのネームバリューもないに等しきを思えば、これも20年という地域開放行事としての積み重ねの賜か、この程度にはしっかりと地域に根づいているということなのだろう。

予想外の果報に恵まれて、このたびの上演は私自身にとってすこぶる心地よい後味を残してくれた。
久しぶりの稽古に入ったときから、年を経るにしたがって演技の自由度が増してきていると実感できるものがあり、その感覚をそのままに気張らず急がず柔軟に奔放に演じてみたつもりではある。それが客席の多くにどう映ったかは確かめようもなく知る由もないけれど、自身の感じ得ている手応えだけは信じられる。
「演ずるのもいいけれど、踊りもすなる林田鉄の、僕はもっと踊りを見たい、見せて欲しいんですがネ」と逢うたびに私に注文をつけていた伊藤君の言葉に、「山頭火はそうじゃねえんだ、そこに拘るとちょいと別物になってしまう」と抗ってきた私だったが、リハの段階で気を変えて彼の注文に応じてみた。ほんの3.4分の短い時間なのだが、ともかくもぶっつけで、このときは転の部分をうまく生み出せず失敗に終わったが、本番ではこの試行錯誤が攻を奏したか、ひょいと意外なものが顔を出してきて、ちょっといい形になった。
成る程、こういう誘いには大いに乗ってみるものだ、知る人ぞ知る、そういう期待というやつにはネ。お蔭でもう一つお土産ができたようなもので、重ねて伊藤君に「ありがとう」を言わねばならない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−61>
 ほととぎす涙はなれに声はわれにたがひにかして幾夜経ぬらむ  慈円

千五百番歌合、三百九十三番、夏二。
邦雄曰く、初句で呼びかけ、二句以下諄々と説き聞かせる口調で歌い進み、初音の頃から幾夜か経って里近くなったほととぎすを描き出し、結句で沈思するという、作者らしい構成の歌だ。歌合の右は寂蓮で「五月雨の空のみ夏は曇るかは月をながめし池の浮草」。無判であるが、誰の目にも問題なく慈円の勝であろう。両首、第三句に殊に深い思いが籠もる、と。


 うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の声に驚く夏の晝臥(ひるぶし)  西行

聞書集、嵯峨にすみけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを。
邦雄曰く、童子と麦笛と昼寝、こんな題材は、王朝和歌何万首の中にも、これ一首だろう。破格・奔放で聞こえた好忠や頼政も、これだけ野趣満々の歌は試みていない。まさに西行ならではの作であり、近世の誰彼の歌とてとても及ばぬに違いない。「昔かな炒り粉かけとかせしことよ衵(あこめ)の袖に玉襷して」がこれに続き、「たはぶれ歌」は、いずれも興味津々だ、と。


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