ほととぎすわれとはなしに卯の花の‥‥

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−表象の森− 若冲の「野菜涅槃図」

京都相国寺承天閣美術館で開かれていた若冲展をとうとう見逃してしまった。
若冲が、父母と自身の永代供養のためにと、相国寺へ寄進奉納した「釈迦三尊像」と、いつの頃からか皇室御物となり、現在は宮内庁三の丸尚蔵館所蔵なっている「動植綵絵」30点が、120年ぶりに一堂に会するという話題の展示だった。
この承天閣美術館1984(S59)年の落成だそうだが、会場となった第2展示室は、今回展示の33点が再び相見えるこの日のあるのを期して、丁度ピッタリと納まるようにとあらかじめ設計されていたというから畏れ入る。
若冲といえば、その晩年を過ごした石峯寺に遺した五百羅漢が、心ない者の仕業か、30体ほどが倒され、うち5体が損壊していたという記事を少し前に眼にしたが、この事件も若冲展の会期中であったろう。若冲の墓もある境内だが、とんだ受難に墓の中で苦虫を噛みつぶしているに違いない。
その若冲に「野菜涅槃図」という滑稽洒脱な絵があるが、この絵もずいぶん人口に膾炙するものだから、ご存じの方も多いはずだ。
畳一帖ほどの画面ほぼ中央に、伏せた竹籠の上に臥す二股の大根を釈迦に見立て、周りのカボチャや蕪や瓜や柿などを、さしずめ釈迦入滅を悲しむ十大弟子や諸菩薩に見立てたか、奇妙といえば奇妙、滑稽味溢れる、奇想の絵である。画面右上の構図には、とうもろこしの沙羅双樹の上から、ミカンの摩耶夫人が降り立ってくる、という愉快な解もある。
さすが、京都錦小路の青物問屋「桝屋」という大店の総領息子として生まれ育ったという若冲。昔は野菜御輿もよくみられたように、これら青物たちも聖なる供え物であったこととあわせて、人生の黄昏期を迎えた若冲の達観と遊狂の心映えのほどが感じられて愉しい。

参考までに、
若冲動植綵絵」30点は「人気投票」サイトですべて見られる。
「野菜涅槃図」は少々画面が小さいが此処で見られる。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−62>
 ほととぎすわれとはなしに卯の花のうき世の中に鳴きわたるらむ  凡河内躬恆

古今集、夏、ほととぎすの鳴きけるを聞きてよめる。
邦雄曰く、卯の花、すなわち初夏の代表花の一つ空木は、この場合、憂き世との頭韻を揃えるための言葉だが、同時に当然夜目にもほのぼのと咲き白む垣根が眼に浮かんでくる。結句の「鳴きわたる」も、遠近法的効果が期せずして現れた。古今集の夏も巻末に近く、夥しいほととぎす歌のしんがりをなす一首である。憂き世の中を泣いて渡るのは作者自身であった、と。


 惑はずな苦参の花の暗き夜にわれもたなびけ燃えむ煙に  藤原顕綱

顕綱朝臣集、百和香に苦参(くらら)の花を加ふとてよめる。
邦雄曰く、五月五日に百種の芳香植物を採って調製するという、古代の練香「百環香」。これに豆科の薬用植物、その根眩暈くほどの苦みを持つ苦参を加えるのが、この作品の動因という。後拾遺時代には、まづ見られぬ奔放華麗な詠風で花の名もまことに効果的だ。殊に第三・四句の独創性は称賛に値しよう。なほ讃岐典侍日記の作者は顕綱の女であった、と。


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