松の花花数にしもわが背子が‥‥

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−世間虚仮− ネパールやインドの子どもたち

昨日から毎日新聞の朝刊で「世界子ども救援キャンペーン」の一環として、ネパール・インドで過酷な労働に従事する貧困家庭の子どもたちの様子が報じられている。
昨日の記事は、鉄鉱石やマンガンを産出するインド南部のサンドゥールで、朝の6時から夕方の6時までハンマーを手に石を砕きつづける9歳と8歳の姉妹。
学校に行ったことがないというこの姉妹は両親とともに一日中この採石場で過ごすが、そうして一家4人で月に得る収入は3000ルピー(約9000円)だそうだ。
インドでは14歳未満の児童労働は制限されており、学校に行かせない親には罰金も科されているが、この州ではわずか25ルピー(約75円)というから、これでは歯止めにもなんにもならない。
この鉱山周辺で働く子どもたちは2万人以上と見られるそうな。

今日の記事は、インド国境近く、ネパールガンジ近郊の「カマイヤ」と呼ばれる人たち。
地主から先祖代々の借財に縛りつけられた小作人たちの集団で、多くはタルーという先住民族の出身だという。
政府は’00年に過去の借財を無効にし、カマイヤを解放する政策を取り始めたが、小作仕事を捨てては暮らしが成り立たない、或いは仕事を変えても貧困から抜け出せないままに、この土地を離れられない人々が多い、と。
ILOの調査によれば、カマイヤの子どもたちの就学率は5%と報告されている。
貧困や差別、内戦などに起因し、2億1800万人の子どもが労働を強いられているのが、この世界の現実。

車いすの詩人岸本康弘がさまざまな人々の支援と自身の拠出で運営するネパール・ポカラの岸本スクールには、現在120名ほどの最下層の子どもたちが通っているが、家庭の事情で晴れて卒業を迎えることもなく労働力として或いは婚姻などを理由に中途退学していく子どもが、今なお後を絶たないという。授業料などすべて無料であるにもかかわらずだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−64>
 松の花花数にしもわが背子が思へらなくにもとな咲きつつ  平群氏郎女

万葉集、巻十七、越中守大伴宿禰家持に贈る歌十二首。
邦雄曰く、松や杉の花は、家持ならずとも、花の数には入れないだろう。だが葉隠れに、淡黄微粒の火薬めいた花粉を降らす松の花は、初夏の爽やかな景物だ。しきりに咲いても顧みられぬ悲しみは、「里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし吾そ悔しき」「ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ」等、いずれも一途な烈しい調べとなる、と。


 暮れわたる池の水影見えそめて蛍もふかき思ひにぞ飛ぶ  飛鳥井雅親

続亜槐集、夏、享徳二(1453)年四月、室町殿太神宮法楽百首御続歌に、蛍知夜。
邦雄曰く、見どころは下句の、特に「ふかき思ひ」であろう。思いはそのまま作者の胸の、燻る火、この趣向、15世紀には類型化するが、応仁の乱のさなかを生き凌ぐ作者の、暗澹たる心も察しられる。別に「滝辺蛍」題で「うちいづるなかの思ひか石はしる滝つ波間にしげき蛍は」あり、和泉式部本歌取りであり、倒置法にそれなりの工夫を見せている、と。


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