恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと‥‥

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−世間虚仮− 堀本弘士君の自殺と災害共済給付金

今年の正月を迎えてまもない1月早々の報道だったと記憶するが、昨年8月、いじめを苦に自殺した今治の中1生の、実名公表へ苦渋の選択をしたという祖父によって、あらためて事件の詳細を知ることとなったのだが、この堀本弘士君の自死に至るまでの健気な振る舞いぶりに、私は激しく胸を揺さぶられた。
貧しさをいじめの対象にされていた彼が、お年玉をコツコツ貯めていた20万円という大金を、毎週末、幼い弟を連れて広島までバスで出かけ、遊園地で好きなだけ遊ばせてやることに、数ヶ月かけて使い切ったうえで、遺書を残して死んだというのだった。その遺書の全容は知る由もないが、記事に紹介されている断片の限りでは、潔いほどにきっぱりしている。これを短絡的という誹りもあろうが、まだ幼さを残した彼の面影から察するに、精一杯よくよく考えた末の、本人なりの整合性のある帰結だったかと受けとめざるを得なかった。
この記事を読みながら私は年甲斐もなく、込み上げてくるものを抑えきれず涙してしまった。正直に言えば激しく泣いた。この子の心優しさと小さな正義感と潔さが愛おしくも胸に痛く突き刺さった。この国の現在は、こういう子どもをまで自死に追いやってしまうのかと、やり場のない無念に囚われた。


半年も経って、何故この件に触れているのかといえば、学校などで起こった生徒の負傷や疾病、障害や死亡などに対して給付する「災害共済給付制度」なるものがあるが、これを所管しているのが独立行政法人日本スポーツ振興センターだそうで、昨年12月、今治市教委が堀本君の自殺に対して死亡見舞金(最高額2800万円)の支給申請をしたところ、センター側はこれを不支給と決定、4月中旬頃、今治市教委に通知。市教委はこれを不服として不服審査請求を申し立てたという記事を、偶々見かけたからだ。
この場合の争点は「学校の管理下」をどう解するか、あくまで学校内とすべきか、学校の外であってもその管理下において起こった事件と見做しうるかという問題だ。
別の記事によれば、この制度の死亡見舞金は、学校内における子どもの自殺に対してはすべて支給され、自宅であったり別の場所であったり、学校の外で自殺した場合は不支給になるとセンター側は説明しているのだが、学校外の自殺で支給されているケースも過去に1件あるというから、始末が悪い。
この1件は、小6の子どもの自殺だっらしいが、事件発生が94年、見舞金の給付決定が00年12月と、どういう訳か6年もの年月を経ている。同センターのサイトによれば、給付金支払請求の時効は事由発生から2年問とされているから、少なくとも4年以上の歳月をこの給付決定に費やしたことになる。そこに何があったかは知る由もないが、制度の運用にばらつきがあっては批判の起こるのも無理はない。
この問題を突かれ同センターは「ケースバイケースで総合的に判断する」といい、また「個別事例については答えられない」と応じていると記事は報じている。
大人社会の、それも官公に近いところほど、今世間を騒がせている消えた年金問題にかぎらず、ことほど好い加減さが罷り通っているこの国である。
仮にもし私が自死した堀本君の祖父であったら、この顛末を、墓前になんと報告できようか。あまりに潔く散ってしまったその小さな心に、いったいなにを手向けたらよいのだろうかと途方に暮れては、ただただ涙するしかあるまい、とまたしても胸を熱くしてしまった昨日の昼下がりであった。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−52>
 恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと言ひしにあらず君も聞くらむ  式子内親王

萱斎院御集、前小斎院御百首、恋。
邦雄曰く、式子の余情妖艶、玲瓏たる恋歌は、二首三首など選び煩うくらいだが、この死を懸けた殉愛の宣言は、一読慄然たるものあり。生きていようとなど言ってもいない。ご承知の筈だ。恋い続けて、とにかく見ていてくださいと、迫るような語気は、すでに恋歌の範疇から逸れようとする。勅撰集に不截の傑作で特に記憶さるべき一首、と。


 幾夕べむなしき空に飛ぶ鳥の明日かならずとまたや頼まむ  後伏見院

風雅集、恋二、契明日恋といふことを。
邦雄曰く、女人代詠の待宵歌、来る日も来る日も「明日必ず」訪れるとの口約束ばかり、愛する人は「むなしき空に飛ぶ鳥」のように、空頼めのみ与えて姿を見せぬ。「とぶとりの・あすか・ならず」とまで懸けている面白さ。詩帝伏見院の第一皇子、第三皇子花園院とともに歌才は玉葉・風雅の俊秀に伍して、いささかも遜色はない。風雅入選35首、と。


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