雲となり雨となりても身に添はば‥‥

Alti200612

−世間虚仮− 釜蓋朔日

7月1日、「釜蓋朔日−かまぶたついたち」とは耳慣れぬ言葉だが、
関東ならば7月は盆の月、今日は盆入りとて、いよいよお盆の準備が始まるが、この日、死者の霊魂が地獄の石戸を突き破って出てくるとされ、このように言い慣わされるようになったという。
あるいはまた、あの世の釜の蓋が開いて、先祖たち死者の精霊が冥途から此の世のそれぞれの家へと旅立つ日でもあるという。
未だ旧盆を風習とする関西ならば、八朔−8月1日−が釜蓋朔日となろうが、
どちらにせよ、直裁で生々しくて、こういった喚起力のある言葉がもはや死語となってしまった現代の世は、索漠としてつまらない。
また、7月1日は山開きの日でもあり、海開きの日でもあるが、昔、全国津々浦々の山々は、すべからく信仰の対象であったのだから、凡夫が聖域へ入るなど神罰の下ることとて許されるものではなかった。
夏のこの時期、その禁が解かれ、山参りが許されることから、山開きと言われるようになったことなども、修験に参じる行者衆はともかく、一般の登山愛好者やその他の者たちには、そんな背景も遠い記憶の底に眠ってしまって、もう呼び覚まされることもない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−59>
 かね言(ごと)はよしいつはりの夕暮も待たるるほどぞ命なりれる  岡江雪

江雪詠草、契待恋。
天文6(1537)年−慶長14(1609)年、北条氏康・氏政親子に仕え、北条氏の滅亡後、秀吉の御伽衆となり、秀吉の死後は家康に仕え、関ヶ原、冬・夏の陣にも近侍した。外交手腕に優れ、連歌を能くした文武両道の戦国武士。
邦雄曰く、たとえ男の口約束が嘘であったとしたところで、待ち遠しい間が「命」だと、縋りつくような思いを呟く女。頼みにもならぬことを頼み、半ばは諦めつつ、「いつはりの夕暮」に懸けようとする。懸詞の臭みもなく、さらりと生まれた「待宵」一風変わったうまみ。作者は秀吉の御伽衆の一人、能・連歌に堪能の戦国武士。17世紀初頭に没した、と。


 雲となり雨となりても身に添はばむなしき空を形見とやみむ  小侍従

新勅撰集、恋三、後京極摂政の家の百首の歌よみ侍りけるに。
邦雄曰く、朝は雲となり暮れは雨となるとは、「巫山の夢」即ち楚の襄王と巫山の仙女との故事によるもの。自分の上には望み得ぬことだが、もしそうであったらと、はかない前提を置くゆえに、下句のあはれは一入まさる。この恋三に、六百番歌合における有家の同主題作「雲となり雨となるてふ中空の夢にも見えよ夜半ならずとも」も入選している、と。


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