聞かじただそのかねごとは昔にて‥‥

Mokukenren

写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「目犍連の柵」

−表象の森− 釈迦十大弟子の二、目連

目連は、目犍連また大目犍連とも称され、神通第一なり。
生まれはマガダ国王舎城の北、コーリカ村のバラモン出身にて、舎利弗とは隣村同士。
彼はその神通力を駆使し、仏の説法を邪魔する鬼神や竜を降伏させたり、異端者や外道を追放するなどして、多く恨みを買ったこともあり、却って迫害される事も屡々であったとされる。とくに六師外道の一とされるジャイナ教徒から仇敵視されよく迫害されたという。
舎利弗と同様、目連もまた、釈迦入滅に先んじて没した。
神通をもって多くの外敵を滅ぼしたがゆえに、おのが業の深さもよく知っていた。また舎利弗とともに尊師の死を見るに偲びなかったのであろうかと思われるが、釈迦に別れを告げた後、故郷の村へと帰参し、多くの出家者たちに見守られつつ滅度を遂げたとされる。
後世、中国の偽経盂蘭盆経」に説かれる、地獄に堕ちて苦しむ母を浄土へ救い出すという、目連救母の逸話は、祖霊を死後の苦悩世界から救済する「盂蘭盆会」仏事の由来譚となり、これが中国より日本へ伝来し、津々浦々庶民の信仰するところとなって今日の盆行事にいたる。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−62>
 聞かじただそのかねごとは昔にてつらき形見の夕暮の声  貞常親王

後大通院殿御詠、期忘恋。
「かねごと」−予言または兼言、いわゆる約束の言葉だが、この一首では鐘の声と懸けられている。
邦雄曰く、入相の鐘が鳴る。聞くまい、聞きたくない。約束していながら私はあの時それを忘れ、仲はそのまま絶えてしまった。今は昔のこと、ただ、その名残を偲ばせるような鐘の声が身に沁む。一篇の物語にも余る恋の経緯の始終を、一首に盡してなお余情ある技法。「憂き身こそいとど知らるれ忘れねど言はぬに人の問はぬつらさは」も、同題の作品、と。


 君が行く道のながてを繰り畳ね焼きほろばさむ天の火もがも  狭野弟上娘子

万葉集、巻十五、中臣朝臣宅守との贈答の歌。
邦雄曰く、巻十五後半には、二人の悲痛な相聞が一纏めに編入されているが、婚後、何故か越前に流罪になった宅守に宛てた妻・弟上娘子の歌のうち、殊に「天の火もがも」の、一切をかなぐり捨てて彼女自身が白熱したような一首は、胸を搏つ。道をあたかも一枚の布か紙のように、手繰って巻き寄せるという発想にも、昂揚した女性特有の凄まじさがある、と。


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