ながらへてなほ祈りみむ恋ひ死なば‥‥

Makakasyou

 写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「摩訶迦葉の柵」

−表象の森− 釈迦十大弟子の三、迦葉

頭陀第一といわれた迦葉(かしょう)は、摩訶迦葉とも呼ばれるが、摩訶とは、大いなる、勝れた、の意だから、尊称として付加されたのだろう。
頭陀はもちろん首から提げる頭陀袋のそれだが、即ち衣食住など少欲知足に徹するを意味する。古来より「十二頭陀行」といわれ、常行乞食や但坐不臥など12箇条の禁欲が説かれる。
迦葉もまた、王舎城近くの村に住むバラモンの家に生まれた。
釈尊に帰依してより8日目に最高の悟りの境地とされる阿羅漢に達したとされる。
迦葉に伝えられる挿話として、釈尊が身に着けていたボロボロの衣−糞掃衣(ふんぞうえ)−に比べて自分の着衣がずいぶんと良いものであるのを恥じ入り、強いて頼みこんで取り換えて貰ったという話がある。彼は釈尊の糞掃衣を押し戴いて、以後これを愛おしむように着つづけたという。
文字通り、彼が釈尊の衣鉢を受け継いだ、というわけである。
釈尊入滅後、生前諸処で行われた説法を編纂するために、彼が主幹となって、500人の修行者を集め編集会議−結集−を開いたとされ、経典や戒律のテキストが成立していく。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−67>
 歎く間に鏡の影もおとろへぬ契りしことの変わるのみかは  崇徳院

千載集、恋五、百首の歌召しける時、恋の歌とてよませ給うける。
邦雄曰く、あれほどの約束も人は違えてしまった。すべては異様(ことざま)になってゆく。それのみならず、悲嘆にくれてやつれ果てた私の顔は、鏡の中で慄然とするほどである。嘗ての面影など思い出すよすがもない。百首は久安6(1150)年、作者31歳の催しであった。常に一脈の冷気漂う御製ではあるが、この悲嘆の歌にも、題詠を遙かに超えた迫力を感ずる、と。


 ながらへてなほ祈りみむ恋ひ死なばこのつれなさは神や受くらむ  松田貞秀

松田丹後守平貞秀集、恋、祈恋。
邦雄曰く、性根を据えてかかった「祈恋」である。満願日になお恋の叶わぬ歎きなら、六百番歌合の定家は「祈る契りは初瀬山」と、果つる口惜しさに唇を噛んだが、貞秀はこともあろうに「神や受くらむ」と言い放った。むしろ潔い。前代未聞の異色恋歌と言おう。貞秀は室町幕府奉行人、二条為重と交わりあり、南北朝後期における出色の武家歌人、と。

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