柞原かつ散りそめし言の葉に‥‥

本格小説(上) (新潮文庫)

本格小説(上) (新潮文庫)

−四方のたより− 劇と小説と琵琶と

一昨日(12日の午後は関西を代表するヴェテラン女優河東けいさんに案内を享けて「セールスマンの死」を吹田のメイシアターまで出かけて観劇。
昨夜(13日)は毎年恒例となった「琵琶五人の会」を文楽劇場へと聴きに行った。
阪急吹田には地下鉄を乗り継ぐが、その往き還りに読みかけたのが水村美苗の「本格小説」。日頃なかなか小説を読まない私だが、時には興がのって一気に読み継いでしまうこともある。文庫にして上下巻合わせ1140頁ほどか、とうとう琵琶の会に出かける前に読み切ってしまったが、その間寝食以外はなにもしなかったに等しい。


どうやら寡作の人であるらしいこの作者については、先に「続明暗」を読んでいたのだが、どうやら代表作と目されるこの長編を超え出て次回作を期待するには、おそらく大変な準備と慮外の果報に恵まれないとあり得ないかも知れないと思われるほどに充実した内容ではあった。ただいくら読み進んでみても、どこまでもつきまとったのは、この小説がなにゆえ「本格小説」などとタイトルされたものか、その事大な名付けにおける作者自身の嗜好というか趣味というか、もっといえば小説に対する作者自身の自意識というか、そういう以外にどうみても描かれた小説世界と切り結ぶべきものをなんら感じさせぬ、その異和が不満といえば不満であった。
小説とは直接関係ないが、この作者の夫君が、「貨幣論」や「二十一世紀の資本主義論」を著し、先頃紫綬褒章を受賞したという経済学者の岩井克人だったとはこれまでまったく気がつかなかったが、この事実や、彼女自身が12歳より在米生活を送り、イェール大学の仏文博士課程卒業という経歴とを併せて思われることは、此方の勝手な推量にすぎないけれど、先述したように作家としての彼女は今後もずいぶんと寡作の人であろうし、この長編を凌駕するような新作を生み出すことは至難の技となるだろう。


アーサー・ミラー不朽の名作「セールスマンの死」は1949年の発表だから、現代戯曲の古典といってもよい存在だ。当時の演出はなんとエリア・カザンである。彼はこの戯曲と並び称されるテネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」もこの2年前に演出している。
劇団大阪の熊本一が演出し、田畑猛雄と河東けいが主役夫婦を演じるこの舞台は、同じ陣容で3年前の1月に上演され、その時の観劇談は初期のブログにも掲載しているが、時を隔てて観てみれば、やはり相応の感触の違いはあった。
その違いを一言でいえば、ディテールの一つ一つ、その時々の台詞の言葉が、客席にわかりやすくよく届いていたと思われるということ。原作と照らし合わせたわけではないので断定はできないが、かなり刈り込んでテキスト・レジーをしているのではないか。60年も隔てているとはいえ現代の劇である。それがアクチュアリティーをもって今の日本の観客に伝えるにはどうあるべきか、この点に演出はずいぶんと腐心したにちがいない。3年前の舞台に比べればディテールの伝わりやすさにおいて数段の進歩があったといえるだろう。ただ、私などの嗜好からいえば、そのディテールの一つ一つ、台詞の一つ一つが、妙に切なく響きすぎるというか、濡れそぼって胸に堪えすぎるのが、心理的に少々きついのである。正攻法でストレートに、こんなにいちいち胸に堪えていては、延々と積み上げられた最期のクライマックスの悲劇が、どうしても幾分かは減殺されてしまう、という危険もあるのではないか。余剰というか遊びというか、そういう視点からもっと工夫をして貰いたい、そんな思いを残した舞台であった。


そして「琵琶五人の会」、
この会では幼な児を連れての鑑賞ゆえ、時間に遅れて聴き逃した演目もあり、あまり語る資格はないのだが、聴いた限りではやや低調気味であったかと思う。
もちろん、奥村旭翠の安定した達者ぶりは健在だが、気にかかった点を挙げれば、まず中野淀水の些か主情に寄りかかり過ぎたとみえる語りと調子の取りようだ。この人の声質と今の工夫のあり方が、どちらかといえば相生合わず、互に裏切り合っているというのが私の見立てで、熟達の工夫の方向を軌道修正すべきだと思われる。
加藤司水の場合、語りと奏法の、それぞれにおける熟練の乖離はいよいよ判然として、ちょっと始末に負えないところまできているという感がある。ひとり自ら語りかつ奏でるのが琵琶の宿命ならば、一方のみに長じても意味をなさないわけで、彼の場合、「歌うな、語れ」の第一歩から出直すくらいの気構えを要するだろう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−69>
 柞原かつ散りそめし言の葉にたれか生田の小野の秋風  宗良親王

李花集、恋、いかなることにか洩れけむ人の恨み侍りしかば。
柞(ははそ)−ナラ類やクヌギの古称。
邦雄曰く、柞の葉のようやく散り初めた晩秋の野と、不用意にも、言葉を散らし、人の噂に立つ原因を作った男とが二重写しになる。誰か行く、その生田の森の秋風とは、いずれ飽きがくることの予言でもあろうか。何か不安な、心中を冷たい風の吹き過ぎるような歌である。李花集には題詠の恋歌も数多見えるが、贈答と思われるこの作、心を引く節がある、と。


 露しげき野上の里の仮枕しをれて出づる袖の別れ路  冷泉為秀

拾遺集、恋三、旅恋を。
生年未詳−応安5(1372)年、御子左家冷泉為相の子、定家からは曾孫にあたる。風雅集初出、勅撰集に26首。
邦雄曰く、古代以来の日本のジプシー、秀れた芸能集団ゆかりの美濃の野上はたびたび恋歌に登場した。「白砂の袖に別れに露落ちて」と定家が歌った秋の朝の後朝が、しかも旅のさなかであれば、歌の背後には傀儡女の歌う今様の一節さへ響くようだ。「露=しをれて=袖」「仮枕=別れ路」と縁語の脈絡も巧みに、冷泉家二世の面目はこの一首にもあきらか、と。


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