送りては帰れと思ひし魂の‥‥

Alti200644

−世間虚仮− 誕生日とお泊まり保育

昨夜は夕食の後の食卓にめずらしくショートケーキが出てきた。眼前に置かれた私のには細いローソクが3本、小さな炎が灯されていた。自分の誕生日だということを忘れていたわけではないが、いまさらさしたる感慨もなく打ち過ごしている身だから、ささやかなセレモニーよろしく妻と幼な児に「おめでとう」と言われても、なにやら他人事のような遠い感触に包まれながらケーキを頬ばったものである。
そういえば、いつものように保育園に幼な児を迎えに行ったその車の中で、「今日は、お父さんのお誕生日なんって、先生に言ったよ。そしたら、先生が『え、ホント、で、お父さんはいくつになるの?』って。だから、るっこは『3歳になるの』って言ったよ。」などと幼な児はお喋りしていたっけ。
もうずいぶん前からだが、自分の年齢のことが解ってくるとこんどは母親や私の年をしつこく訊ねるようになってくるもので、そんな頃から、私の場合は60を捨象して1歳、2歳と数えさせていたから、そのような保母さんへの応答になるのだけれど、それを聞いた保母さん、さぞかし面喰らったことだろうと思うとちょいと可笑しく愉快な気分にさせられたものだ。


その幼な児は、今日からはお泊まり保育とやらで、それも加太の海岸近くの民宿に2泊3日という、保育園にしてはめずらしい本格派の小旅行にお出かけあそばすのだが、今朝は早くからそわそわとどうにも落ち着かない。結局は集合の時間にはまだまだたっぷりと余裕があるけれど、「早く行こうよ」と浮き足だってくるから、早々に保育園へと送りとどけることになってしまった。
月が変わってからは、「あといくつ寝ると‥‥」と来る日も来る日も指折り数えては待ちかねてきたお泊まり保育だもの、彼女にすればそんな浮き浮きそわそわも無理はないのだけれど、これまで一度だって親と離れて外泊などなかった子であれば、反面いささか緊張している風情もあって、それかあらぬかいつもなら朝は決まってパンかお茶漬けでお腹を満たしていく子が、今日に限って「いらない」とそのままに出かけたあたり、新しいこと未知のことにはどんな場合も緊張の先立つ気質がまだまだ脱けないらしく、やはりうれしさ半分物怖じ半分というのが、今朝の彼女の姿なのだろう。
はてさて、2泊3日の3日目の夕刻、迎える私に幼な児はどんな姿を見せるものやら、この時期の子どもにとっては相当な強度をもつはずの体験であろうから、きっとなにかしら変化のきざしが表れているにちがいないが、それがどんなものにせよ彼女にとっては成長史の大きな徴のひとつになることは疑いないし、こちらはこちらでどのように眼を瞠らせられるのかに小さな期待を寄せつつ、二晩の不在を味わねばならない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−72>
 逢ふと見てことぞともなく明けぬなりはかなの夢の忘れ形見や  藤原家隆

新古今集、恋五、百首歌奉りしに。
邦雄曰く、正治2(1200)年院初度百首の時、作者壮年を過ぎ、技倆ようやく円熟して、秀歌ひしめく感あり。もっともこの恋歌、六百番歌合「枯野」の定家「夢かさは野べの千草の面影はほのぼの靡く薄ばかりや」に似すぎているが、本歌とされる小町の古今集歌「秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを」を遙かに超えた秀作である、と。


 送りては帰れと思ひし魂の行きさすらひて今朝はなきかな  出羽弁

寛弘4(1007)年?−没年未詳、平安中期の女流歌人で家集に「出羽弁集」。「栄花物語」続編の巻31から巻37までの作者に擬せられる説あり。後拾遺集初出、勅撰集に16首。
金葉集、恋下、雪の朝に出羽弁が許より帰り侍りけるに是より送りて侍りける。
邦雄曰く、古今・雑下に「飽かざりし袖の中にや入りにけむわが魂のなきここちする」と、橘葛直の女陸奥の作あり。後朝に別れを惜しみ、男を送って行った。身は帰ってきたが魂は恋しい人の方に行き迷い、脱穀さながらの今朝の自らの有様。離魂症状をまざまざと描き出したところ、執念を思わせてまことに印象的である。作者は出羽守平季信の女、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。