はかなくて見えつる夢の面影を‥‥

Syubodai_1

写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「須菩提の柵」

−表象の森− 釈迦十大弟子の五、須菩提

須菩提は、解空第一となり。また、無諍第一、被供養第一とも。
解空とは、文字通り、空を解すること、空なるものへの理解が抜きんでていたということ。
無諍とは、決して諍いせず、いかなる非道・中傷・迫害があろうとも決して争わず、つねに円満柔和を心がけたと。さればこそ多くの人々からかぎりない供養を受け、被供養第一とも称されたのであろう。
彼はコーサラ国舎衛城の富豪商人の家に生まれたという。
祇園精舎を寄進した大富豪須達の甥にあたるが、その祇園精舎が完成した際の釈尊の説法を聞いて出家したという。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−73>
 はかなくて見えつる夢の面影をいかに寝し夜とまたや忍ばむ  土御門院小宰

古今集、恋三、恋の歌とて。
邦雄曰く、偶然にも夢で恋しい人を見た。忍びに忍んで、報いられぬゆえの、悲しい反映に過ぎないのに、その夢すらどういう風に寝たから見ることができたのかと省みる。うつつには到底叶わぬことゆえに、剰る思いを精一杯言葉に変えようとする涙ぐましい作品。小宰相は家隆の息女、父と共に遠島流謫の後鳥羽院を歌で慰めた。勅撰集入集26首、と。


 つらかりし多くの年は忘られて一夜の夢をあはれとぞ見し  藤原範永

新古今集、恋三、女に遣はしける。
生没年未詳、生年は正暦4(993)年頃かと。能因法師や相模を先達と仰ぎ、源頼実ら家司・受領層歌人で和歌六人党を結成。小式部内侍と間に女児を設けたとも。後拾遺集初出、勅撰集に30首。
邦雄曰く、待ち焦がれた逢瀬、この一夜までの苦しさは今更繰り返すのも辛い。だが、そのただ一夜共に寝てみた甘美な夢ゆえに、既往のすべての苦悩もさっぱりと忘れ得た。後朝に男が贈る歌としては、安らぎに満ちた、一盞の美酒に似た香を漂わす。恋歌群中にあっては、むしろ目立たぬ作ながら、一息に思いを述べた爽やかさは、それゆえに存在価値あり、と。


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