はかなくて見えつる夢の面影を‥‥

Furuna

写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「富楼那の柵」

−表象の森− 釈迦十大弟子の六、富楼那

富楼那は説法第一となり。また、満願子とも異称されるなり。
カビラ城の近くドーナヴァトゥという婆羅門村に生まれた。彼は若くして家を出、海上の交易商人となって成功し長者となった。ある日、その航海の途上で舎衛城の仏教教団と乗り合わせ、釈尊の存在を知るところとなった。この時どうやら彼は、釈尊に直にまみえることなく出家を決意したらしく、航海が終わるや否や、財産をすべて長兄に譲り渡し、舎衛城近くの祇園精舎へと駆けつけたという。
晩年は故郷へ戻って釈尊の教えをひろめることに専心したといわれるが、この釈尊との別れの際に師弟の間で交わされた問答が仏典に残され、伝道に徹底して身命を賭した覚悟のほどが語られている。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−74>
 思ひつついかに寝し夜を限りにてまたも結ばぬ夢路なるらむ  藻壁門院少将

拾遺集、恋四、題知らず。
生没年未詳、藤原延実の女、弁内侍・少将内侍の姉。新三十六歌仙や女房三十六歌仙に挙げられる。新勅撰集初出。
邦雄曰く、恋しい人との仲も絶え果てた。その故由はさらに知り得ぬ。疑問と不安と絶望に身を苛まれながら、作者はじっと宙を見つめるのみ。夢路とは逢瀬のこと、単純な内容であるが嫋々たる調べは曲線を描いて、盡きぬ恨みを伝えている。少将は、似絵の開祖藤原隆信の孫。後堀河天皇中宮藻壁門院に仕えた歌人で、反御子左家とも親交あり、と。


 夢にても見ゆらむものを歎きつつうち寝る宵の袖のけしきは  式子内親王

新古今集、恋二、百首歌中に。
邦雄曰く、正治2(1200)年院初度百首の中。空前の秀作揃いで、70首以上が新古今集以降の勅撰集に採られ、残りも殆どが未木抄に入った。殊に新古今入選は25首に上る。袖も涙も濡れ濡れて寝るこの姿、あなたの夢にも現れようものをと、独特の二句切れ倒置法で訴える。迫力あり、妖艶の極みといえよう。式子の数ある恋の名作の一つに加えたい、と。


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