一昨年も去年も今年も一昨日も‥‥

Kasennen
写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「迦旃延の柵」

−表象の森− 釈迦十大弟子の七、迦旃延

迦旃延(カセンネン)は、論議第一なり。
論議第一とは、釈尊の説いた法を、詳細に解説するにとくに優れていること。
釈尊教外の地、アヴァンティ国の首都ウッジャイニーの婆羅門の出身。
釈尊の名声や仏教教団の活躍を聞きつけたこの国の王は、舎衛城の祇園精舎に七人の使者を遣わしたが、その中の一人だった迦旃延は、釈尊に出会うやそのまま出家して仏弟子となった。
後に修行成って帰国した彼は、国王をはじめ多くの人々を教化し、アヴァンティ国に釈尊の教えを弘めた。
当時、受戒に10人の比丘が必要とされていたが、化外の地にあってこれを揃えることはまことに困難である。その事情を知った釈尊は、此の後、辺地にあっっては5人の比丘で受戒を認めるとしたという。
「一夜賢者の偈」と名高い釈尊の教えがある。ある時、迦旃延は一人の比丘にこの偈の解説を求められ、一旦は釈尊に代わって解説するなど畏れ多いと固辞したのだが、解説まで釈尊に求めることこそ畏れ多くてとてもできないと重ねて請われたので、彼はやむなく解りやすく説いて聞かせたところ、後にその模様を聞いた釈尊が「それでよいのだ。私が解説しても、迦旃延と同じように語ったであろうよ。」と言われたという話が仏典に残されている、と。


「一夜賢者の偈」
過ぎ去れるを追うことなかれ。
いまだ来たらざるを念うことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
揺ぐことなく、動ずることなく、
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
たれか明日死のあることを知らんや。
まことに、かの死の大軍と、
遇わずというは、あることなし。
よくかくのごとく見きわめたるものは、
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん。
かくのごときを、一夜賢者といい、
また、心しずまれる者とはいうなり。



<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−80>
 浅くしも慰むるかなと聞くからに恨みの底ぞなほ深くなる  光厳院

光厳院御集、恋、恋恨。
邦雄曰く、微妙な恋心の陰翳を凝視しかつ掘り下げている点、王朝以来の恋歌中でも類を絶した作の一つと思われる。藤原良経の花月百首中に「心の底ぞ秋深くなる」という有名な下句あり、多分無意識の準本歌取りだろう。「恨みの底」とは実に考えた表現であり、暗闇からの訴えのように響く。初句・結句の「浅・深」の対照も、面白い趣向である、と。


 一昨年も去年も今年も一昨日も昨日も今日もわが恋ふる君  源順

源順集。
邦雄曰く、あたかも血気盛んの若者が、溢れる愛を誇示して「君恋し」を連呼する姿を、まのあたりに見るようだ。稚気満々というよりは直情滾々ととでも称えたい愛すべき調べである。出自は嵯峨源氏だが、天元元(978)年68歳で未だ従五位上能登守。沈淪を歎く歌も多い。詩才抜群、技巧の鬼である作者の真情流露。但しこの技法、二度目は鼻につく、と。


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