風になびく富士の煙の空に消えて‥‥

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−世間虚仮− 自民歴史的敗北と安倍続投

自民の歴史的敗北を伝える参議院選挙の速報が各局で伝えられていたその深夜、正確には30日の午前2時05分、嘗てベ平連を率いた闘士、小田実が逝った。享年75歳、胃ガンで療養中であったことはどこかで耳にしていたが、自民惨敗と騒擾たる選挙報道のなかでその死が伝えられるのもなにやら符号めいてみえてくる。
自民候補を公明票が一定下支えをするというこのところの自公協力体制を踏まえれば、今回の安倍自民敗北は、土井たか子が「山が動いた」と称した’89年の参院選をも凌ぐ、まさに戦後の保守合同以来の歴史的敗北にちがいない。
その大敗の最終結果を待たぬまま、早々と安部首相は続投を表明した。これまた異例の、異常ともみえる「ご乱心」ぶりだ。
闘い終えて身体の不調を訴えてか公の場に一向に姿を見せず静観しつづけた小沢一郎と好対照ともみえるが、その小沢は波乱の政局を眺めながら今朝になって党本部に現れた。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−31>
 玉くしげ二見の浦の貝しげみ蒔絵に見ゆる松のむら立ち  大中臣輔弘

金葉集、雑上、伊勢の国の二見浦にてよめる。
生没年未詳、大中臣輔親の系譜に連なる平安後期の伊勢神官か?
邦雄曰く、黒漆金蒔絵の図案に、二見浦風景を見立てた。古歌に屏風絵の絵のような眺めの作も数多あるが、「蒔絵に見ゆる」と歌の中で言ったのは珍しい。「貝しげみ」は、この蒔絵が青貝を鏤めた螺鈿であることの前置きであり、その漆器が、枕詞の玉櫛笥とゆかりを持つことも、考えに入れればさらに面白い。作者は康和5(1103)年、佐渡に流された、と。


 風になびく富士の煙の空に消えてゆくえも知らぬわが心かな  西行

新古今集、雑中、あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山をよめる。
邦雄曰く、西行は文治2(1186)年68歳の初秋、伊勢を立ち、東大寺復興のため再度の陸奥旅行に出た。「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」もこの時の詠であった。第三句「空に消えて」で、自らの姿と心を客観するような、出家としての作者のまなざしが感じられ、無常な現世への深い歎きが明らかに読み取れる、と。


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