うち忘れはかなくてのみ過ぐしきぬ‥‥

Ragora

写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「蘿窓路浦の柵」

−表象の森− 釈迦十大弟子の九、羅候羅

羅候羅は密行第一、また学習第一となり。
釈尊の実子とされる羅候羅の誕生には諸説あって定かではない。
羅候羅(ラゴラ)はサンスクリット語Rahula(ラーフラ)の音写だが、意味は日食や月食を起こす魔神ラーフに由来し障りを為すもの。
子どもの誕生を知った釈尊が「障碍生ぜり、繋縛生ぜり」と言ったことからこの命名となったと。
出家の時期にも諸説あるが、いずれにせよ年少時のことで、実子ゆえの慢心もあればまた周囲からの特別扱いもあったか、若い頃はとかくの話が伝えられるが、成人後は智恵第一の舎利弗に就き従い、不言実行をもって密行をよくまっとうし、仲間の比丘たちからも尊敬を集めるようになったという。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−33>
 流れ出づる涙ばかりを先立てて井関の山を今日越ゆるかな  道命

新続古今集、羈旅、井関の山を越ゆとて。
邦雄曰く、井関山は三重の阿山郡布引村にある歌枕、謡曲「井関山」ゆかりの地。道命の歌もこの歌枕を詠んだ好例として頻りに引かれる。道命阿闍梨集では、熊野・志摩・伊勢あたりの旅の歌として現れ、題詠には見られない風情があはれで、かつ楽しい。涙川を堰くという縁語で歌枕を活かしたばかり、哀傷の意はあるまい。強いて言うなら郷愁の涙か、と。


 うち忘れはかなくてのみ過ぐしきぬあはれと思へ身につもる年  源実朝

金槐和歌集、冬、老人憐歳暮。
邦雄曰く、老残の身の、歳末になれば一入悔いのみ多く、行く末を思えばさらに暗澹、それこそ「あはれと思へ」であろうが、実朝家集の下限は精々二十歳と少々。その思いの深さ、むしろ無惨と言うべく、慄然たるものあり。「老いぬれば年の暮れゆくたびごとにわが身一つと思ほゆるかな」は太宰治の「右大臣実朝」ら引かれたが、やや調子低く同列ならず、と。


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