潮満てば野島が崎のさ百合葉に‥‥

07042111

−世間虚仮− 防火管理講習とか

昨日と今日の二日間、防火管理講習の受講のため阿倍野防災センターに通っていた。
今のマンションに移り住んでからたしか10年目になるかと思うが、入居時の抽選で順番の決まっていた管理組合の理事の役目がとうとうわが家にお鉢の回ってきたのがこの6月。
前理事らとの引き継ぎの理事会に出て行ったら、新理事の中から防火管理者を新たに選任しなければならぬとかで、構成メンバーからみてもっとも時間的余裕のありそうな私が受けざるを得なかったのだが、他ならぬその資格取得のための受講だったわけだ。
拘束は両日とも午前9時20分から午後5時まで。会場の最寄り駅は地下鉄あべのだが、わが家からは二度も乗り換えるか、天王寺から歩かなければならない。時間にすれば40分あまり要するだろう。幼な児を8時過ぎに保育園に送り届けてから会場へと駆けつけるには間に合うかどうか不安があるので、暑さが堪えるが自転車で通うことにした。

南港通りを東へ走っていくとすぐに帝塚山界隈の坂道を上がることになるが、難所はここだけ。下り坂になったら姫松の交差点はすぐだ。これを左に折れてあとは真っ直ぐ北へ向かって一本道。私のようにゆっくりとした走りでも30分足らずで会場に着いた。途中、姫松通りを走っていると松虫の駅のまだ手前のところ、並ぶ民家の間にひょつこり見えた石の鳥居は、熊野古道ゆかりの九十九王子社の一、阿倍野王子だった。
さらに北進すれば道は阿倍野筋と合流してどんどん直進、阿倍野の交差点付近にひっそりと立つ「熊野かいどう」と彫られた小さな石碑を横目に見て、ベルタの方へ渡って裏手へと廻れば温水プールを併設した阿倍野防災センターのビルがある。眼の前には阿倍野再開発のメインタワー、40階建てのあべのグラントゥールが中天を突くがごとくそびえ立って、見上げるばかりの近さにある。

会場の席に着いてまず驚かされたのは、机の上にデンと積まれた講習の教材や資料らしきものの人を圧するその物々しさ。全国消防協会発行の「防火管理の知識」はこの講習の主要教材だが、これが460頁もある厚手の代物。その下にさらに厚手の大阪市消防局編集なる2000余頁もある「消防関係法令集」が鎮座まします。さらに茶封筒にはA4版の資料集が数冊入っているというご丁寧さ。甲種防火管理講習は受講料8000円也だが、さすがお役所仕事の一環か、金に糸目をつけぬ過剰サービスぶりだと呆れかえる。
たった二日の講義で膨大なテキストや資料をあちこち拾い読みをしたところで門前の小僧にも届くまいが、この先、防火管理者となって日常の業務に就いたとすれば、参考書虎の巻の類はこれですべて揃っているわけだ。
台風5号近畿地方直撃は免れて、夏の盛りの二日間のお勉強は無事終了と相成り、「修了証」なるものを頂戴したが、日長一日ひたすら硬い椅子に縛りつけられて拝聴する消防局OBたちの重複をものともしないかなり退屈な講義には辟易させられるばかりで、こんな年になってからのただ強いられただけの身につくはずもないお勉強などは、頼まれてもするものではないと骨身に沁みた二日間であった。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−34>
 潮満てば野島が崎のさ百合葉に波越す風の吹かぬ日ぞなき  源俊頼

千載集、雑上、夏草をよめる。
邦雄曰く、紺青の海の中の淡路野島が粼、咲きたわむ百合の白。そこへ打ち寄せる藍色の潮。百合はむしろ万葉風で珍しく、この鮮麗な画面、俊頼の詩才で、まことにめでたい歌となった。万葉に「夏草の野島が粼」の先蹤あり、作者はそれにちなんでいる。また「さ百合葉」は「百合」と同義、葉のみを指すのではない、と。


 瀬を早みくだす筏のいたづらに過ぎゆく暮の袖ぞしほるる  後土御門天皇

紅塵芥集、寄筏恋。
邦雄曰く、待宵の刻の、思う人は来ぬままに、たちまち更けてゆく悲しさ。上句の序詞に、急湍を落ちる筏の危うく慌ただしい動きを幻覚するとき、第四句に対してはやや唐突ながら、それなりにありありと、濡れる袖と筏のしぶきを結ぶ。題が示されていなかったら、「暮」は年末を思わせる。月日の移ろいの早さに、ふと袖を濡らす述懐歌としても面白い、と。


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