今朝見れば遠山白し‥‥

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−世間虚仮− 同窓会の案内文書

市岡15期同窓会の幹事会で同窓会館に集まった。昨日のことだ。
60も過ぎればみんなだんだん閑になってきたとみえて、このところ出席者も増えてきて23名という大所帯。
にぎやかなこと結構このうえないが、そのぶん意見の取り纏めは些か面倒臭くなってきた。
前回の幹事会で、ひろさちや氏の講演招聘がOKとなったので、同じ15期生で幹事会に出席している妹御に、演題を「林住期を生きる−遊狂の心」などでは如何かとメールで打診をば願ったところ、「それもいいネ」とのリアクションだっだと報告を受けて、
ならば案内のキャッチコピーに「市岡時代から45年、ワレラ『林住期』マッタダナカ!」と仮題して見ることにした。
私を含めた幹事代表者会5人に図ってこれでいこうと一旦はなったのだが、これを聞きつけた他の理事連からブーイングの火の手が上がったとみえて、回り廻って私の耳にも入ってくる。
曰く「なんだか難しそう」「同窓会だのに堅苦しい」「リンジュウキって『臨終期』かと思った」とかなんとか。
たしかに「林住期」という言葉自体、まだまだ一般には馴染みがうすかろう、知る人はおそらく2割に満たないだろうとは思っていたが、「林住期ってなに?」と判りやすく短くコメントしておいたから、此方にはそういうリアクションは想定外で困惑しきりであった。
そこへ、件の妹御からひろさちや氏も「林住期はちょっと違うんだ、てぎれば『そのまんま・そのまんま』として頂きたい」とのお達しだというので、此方も拍子抜け。
演題が「そのまんま・そのまんま」となっては、「林住期」をアタマに振るのも些か悩ましくなった。おまけに、水が低きに流れるがごとく人は易きに流れるの喩えじゃないが、一人が異を唱えれば付和雷同してかなり喧しくなるものだから、ここは一番白紙に戻して再考することとした。
とはいっても、此方も一定のこだわりをもって動いてきたことだから、クルマじゃあるまいし、ニュートラルに戻すのはそう容易なことではない。考えてもなんにも思いつかないから二三日はそのまま打棄っておいた。
3日も経つと、そろそろどうにかしなくちゃなとの思いが自然と擡げてくるもので、「はて、ラブレター擬きで、呼びかけ調にでもするか」などと考え出す。
私という者のイメージからはほど遠く気恥ずかしいくらいだが、「あなたお元気ですか」とでもやっちゃいますか。
「市岡時代から幾星霜、あなたお元気ですか!?」とアタマに振って、
「遊びをせむとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ。十干十二支ひとめぐりして、われら三歳の幼な児ならむ。」と添える。
あとは地となる挨拶文、
「市岡時代から幾星霜
 あなたお元気ですか!?
 いえいえ、きっとあなたのことだもの
 往時の面影をそのまま残し
 内からたぎる熱情は汲めども涸れず
 あれもこれもと貪欲なまでに
 あるいは、これと定めたひとすじの道に
 ひたすら日々多忙をきわめ
 あるいは、ゆるゆる鷹揚と
 愉しみ勤しみ生きておられることでしょう。」
「古人云う、還暦に至って赤子に還るなら
 われらみな三歳の幼な児にひとしく
 向後、いろいろのことどもすべて
 初発の歓びに充たされましょう。」
「此処にあいつどうひとりひとりの気と力とが
 遊び戯れる宴いっぱいにこだまして
 たがいに忘れ得ぬひとときに。」
エーイ、これで一件落着といかねば、わしゃもう知らん。
とそんな次第で、昨日の幹事会には、この案内書と表書き封筒と返信ハガキと会費の振替用紙にタックシールと5点セットを持ち込んで、無事発送へとこぎつけた。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−35>
 渡りかね雲も夕べをなほたどる跡なき雪の峯のかけはし  正徹

草根集、五、冬、暮山雪。
邦雄曰く、夕雲が、前人未踏の峰の架け橋を、渡りかねて踏み迷うと歌い、雪は題に隠した。聞こえた代表作であり、定家の歌風を一流の解釈で分析敷衍し、「行雲廻雪の体」を創案した証歌。正徹の到達した世界として十分に評価さるべきだが、余情妖艶とは方角を違え、一歩過てば迂遠で煩わしいのみの感も否みがたかろう。上句の擬人法が賛否の分かれ目か、と。


 今朝見れば遠山白し都まで風のおくらぬ夜半の初雪  宗尊親王

玉葉集、冬、冬の歌の中に。
邦雄曰く、あの遠山の雪も都までは風が吹き送ってはこない。二句切れの「白し」、身に沁むばかり冷ややかに、「初雪」にこめた思いも深い。「浦風の寒くし吹けばあまごろもつまどふ千鳥鳴く音悲しも」、「大井川洲崎の蘆は埋もれて波に浮きたる雪の一むら」等、玉葉集の冬には親王の歌三首見え、いずれも水準以上の出来映えである。勅撰入集計190首、と。


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