わりなしや露のよすがを尋ね来て‥‥

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−表象の森− その名はKOKORO: 胡紅侶

偶々、中国舞踊を観る機会を得た。
昨日は連れ合いが休日出勤とて、幼な児連れの私は常よりもゆっくりとメンバーの待つ稽古場へ出かけたのだが、それもまたいつものごとく昼過ぎには終えてみれば、はてその後の時間潰しのあてがない。
そこで以前長い間私自身深く関わっていたサンセットパーティなる催しの仕込を陣中見舞とばかり、といっても別に手伝うわけでもないのだが、天保山ホールへと足を向けた。
昔からの相変わらずの顔ぶれが出揃ってセッティングをしているが、会場中央に組まれたヤグラ舞台やら他もろもろの設営も、嘗て私がやっていた昔ながらの風景がほぼそのまま再現されており、ちょっとしたタイムスリップの感がある。

天保山ホールとは、その昔関西汽船などが発着した天保山埠頭に付設された客船ターミナルのことで、大阪市港湾局の管理下にある施設なのだが、なにもないに等しいガランとしたその広い室内は、1000人や1500人規模なら使いよう次第でユニークなイベント空間を現出せしめる。
今年で21回目を迎えるという奧野正美市議後援会主催のサンセットパーティは、いわばその使いように工夫を重ね、これをある種濃密な祝祭空間と化さしめた事例として、深く関わった者のひとりでもある私の記憶に残ってよいものである。
そのイベントも、今年あたりでもう最後になるやもしれぬ、そうなる公算は高いだろうとの予感が、私に足を向けさせたということもいえそうなのだが、これを詮索しだしては長くもなろうからここではやめておこう。

出演者たちの音合せや簡単なリハを終えたら酒宴の始まる前に引き揚げようと思っていたのだが、本番近くなってくるといよいよ昔馴染みの顔ぶれが増えてきて、消えどきのタイミングを失してしまったような格好でとうとう最後まで付き合ってしまった。


さてやっと本題、出演者たちのなかにひとりの中国舞踊家、胡紅侶なる女性が居た。年は50歳過ぎくらいか。幼い頃から北京舞踊学院に学んだというから本格派にはちがいない。
観たのは短い曲だが、ウィグル民族舞踊に連なるものと、私見だが一部にベリーダンスの技巧を用いたとみられるアラブに連なるような舞踊の二つ。その身技はたしかなものがあるが、日本滞在がもう長いらしいその生活文化ゆえか一抹の芸の荒れといったものが覗われるようだ。
演じ終えたあと少し話をしたが、そのとき自己紹介代わりに貰った一枚のビラには、KOKORO舞踊教室とあり、その主宰者が彼女。大阪と神戸と教室を開いている。在日はもう17.8年になるらしい。名前の胡紅侶からKOKOROと音を採って「こころ」と愛称されているとも。

中国近代化は伝統的な「武術」と「舞踊」に身体技法の共通性を捉えて、そこへヨーロッパとりわけロシアのクラシックバレーの技法を接ぎ木し、総合芸術化を図った。それが中国古典舞踊だ。さらにはこれを中軸にしつつ各地さまざまにのこる民族的な舞踊の技巧を各々採り入れて、チベット族舞踊、モンゴル族舞踊、朝鮮族舞踊、ウィグル族舞踊や、タイ族あるいはミオ族舞踊と個別化もしてきた。
欧米化、近代化とはそういうもので、中国でなくとも、アジア・アフリカ・南米のどの国においても多かれ少なかれ欧米流の「普遍性」がいわば暴力的に押しつけられるようにしてなされてきたといってもいいが、これを完全主義的なまでに推し進めてしまうのが中国という国だ。正しく少数民族の伝承的な芸能が深化していく術はなく、その特質は換骨奪胎されどこまでも添加物のごとくただ花を添える役割を担わされるのみだ。それら似而非芸術は、ウィグルならウィグルに伝承される身技の水脈を枯渇させるほうへと働きはしても、今に甦らせ深化させるほうへと導きはしない。

彼女自身、プロフィールによれば一時ニューヨークにも行き、ジャズ・モダン・バレエを学んだとあるが、私の眼にはどこまでも舞踊における中国近代化の申し子そのものにみえた。
どういう理由で来日することとなったか知る由もないが、長く日本という異国の地で、彼女の身に携えたその舞踊の技法を糧に生きねばならぬ彼女自身の存在の仕方そのものに、ふと一抹の悲哀を感じざるを得ず、まして今宵のこの出会いが、ひとつの舞台とはいえ一議員の後援会による酒宴のイベントのなかの座興に過ぎぬ見世物であってみれば、観衆から大きな喝采を得ていたとしても、否それだけにその哀れはなんともいえぬ相貌を帯びてくるのだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−108>
 わりなしや露のよすがを尋ね来てもの思ふ袖にやどる月影  宜秋門院丹後

千五百番歌合、千二百十七番、恋二。
邦雄曰く、袖の露は涙、涙に映る月というパターンは春と秋の恋の一種の定石であるが、露のよって来る由縁、涙の故由を尋ねてと上句で深い歎きを盡すこの歌、他と異なって手練れを思わせる。歌合左は良経の「木隠れて身は空蝉の唐衣ころも経にけり忍び忍びに」で、この作者に似合わず低調、顕昭の判は勿論右丹後の勝。第四句一音余りの味わい無類、と。


 待つ人にあやまたれつつ萩の音にそよぐにつけてしづ心なし  大中臣輔親

祭主輔親卿集、萩。
邦雄曰く、萩の葉の風にそよぐ音さえ、待つ人の衣摺れかと心を躍らせて、またはかなく時を過ごす。言い捨てたような結句に、かえって悲しみが漂う。輔親は代々の祭主、大中臣家の大歌人能宣の息。長暦2(1038)年、伊勢への旅の途中、84歳で客死した。庭に天の橋立の景を作、風雅の士を招いて吟詠交歓、大いに風流を盡したという逸話が伝わる、と。


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