まどろひて思ひも果てぬ夢路より‥‥

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−世間虚仮− テロ特措法の本名?

夏バテゆえか昼輭の残暑は身に堪えるし、夜は夜でこのところよく眠る。
15日の土曜日、京都のアルティホールへとフェス応募の書類を持参、クルマでトンボ返りに所要時間5時間半、年がゆくとこういうのが思いのほか身体に堪えるのだ。

「テロ特措法に基づく艦船への給油は国際公約」と職を賭してこれを守るとブッシュに大見得を切ってきた安部首相の、国会冒頭、所信表明直後の突然の辞任というご乱心で、あわただしくも繰り広げられる自民党総裁選の迷走ぶりが残暑の暑苦しさをいや増しに増す。
その「テロ特措法」、16日の朝日新聞社会面に、この法の正式名称たるやなんと122字にわたる長いものでその長さは日本一と、第1案から4度の訂正変更を経て最終案に至る変遷を詳細に紹介していた。

「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法の一部を改正する法律」

と、まあだらだらとやたらに長いこと、他の法と比べても突出している噴飯物で思わず笑ってしまった。
慣例的にこの国の法の名称には読点を入れぬものらしいから、読み上げるのに何処で息継ぎをしてよいのかも判らぬ始末で、「寿限無々々々」じゃないが一気読みするしかない。
アメリカの対テロ武力活動に協力する旨を直接的な表現を避けて、「国際連合憲章」や「人道的措置」などと耳障りの良い語句を挿入し美辞麗句で包み込んでしまおうとする当時の内閣官房の思惑がこれほどの長大なものを生み出した訳だが、まことに膠着語たる日本語は、こんな化け物まで生み出してしまうものかと溜息も出よう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−112>
 まどろひて思ひも果てぬ夢路よりうつつにつづく初雁の声  藤原定家

拾遺愚草、上、閑居百首、秋二十首。
邦雄曰く、夢うつつに聞いた雁の声、初めての雁の声、ただそれだけの歎声を、「夢路よりうつつにつづく」と、雁の列を暗示し、時間・空間を重ねた技倆はさすがである。閑居百首は文治3(1187)年25歳の冬の作。前年の二見浦百首の「初雁の雲ゐの声は遙かにて明け方近き天の河霧」よりもその調べ、心象の鮮やかさは、いずれも格段に勝っている、と。


 鳴きよわる籬の虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ  紫式部

千載集、離別。
籬(まがき)は竹や柴で目を粗く編んだ垣根。
邦雄曰く、「遠き所へ罷りける人のまうで来て暁帰りけるに、九月盡くる日、虫の音も哀れなりければ」とねんごろな詞書がある。さらぬだに悲しい虫の声、それも秋の逝く9月の末の日、まして人との別れを控えて、身に沁むこともひとかたならぬ心情ををくっきりと描いている。家集には「その人遠き所へ行くなりけり」で詞書が始まり、家族連れの地方赴任、と。


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