今朝の朝明雁が音聞きつ春日山‥‥

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−四方のたより− 再び、中原喜郎展へ

9月も下旬にさしかかろうというのに日中の蒸し暑さはどうにもたまらない。
地球温暖化による異常気象もここに至っては疑いえぬ厳然たる事実かとみえる。
その残暑のなか、昨日(17日)は再び中原喜郎兄氏の遺作展も最終日とあって滋賀県立近代美術館へと出かけた。こんどは連れ合いと幼な児も打ち揃ってのことゆえクルマを走らせた。この7.8年続いた年に一度の、この時期の文化ゾーン詣でもこれを最後に遠のくかと思えば、胸の内も穏やかならず心ざわめくものがある。

時間に少々ゆとりをもって出かけたので、ギャラリーへと足を運ぶ前に、遊具のある子ども広場にてしばらく幼な児を遊ばせた。盛り土して小高くなったところは樹々も育って落葉樹のこんもりとした森ともなって、ちょっとした森林浴を味わえる趣きだが、陽射しを浴びるとやはり暑い。
遊具もたくさん備えているわけでなし、小一時間もすれば子どもも遊び飽きてくる。暑さゆえの喉の渇きもあったろう、「お茶が欲しい」と言い出したところで小さな広場を退散。自販機を探してお茶を与えてから、美術館のほうへ向かった。

美術館の前まで来ると、幼な児が「ココへ来たことある」と声を上げた。さもあろう、1歳の誕生を迎える前から年に一度とはいえ毎年通ってきた処だもの、幼な児とて記憶に留めていて不思議はない。否、たとえ成長し大人になっても、今のその記憶が中原喜郎という名とともに彼女の心に生きつづけていて欲しいものだと、心中秘かに念じたものだった。
会場のギャラリー受付のテーブルには中原兄氏のお嬢さんが二人出迎えていた。といってもお嬢さん方とはとくに面識があった訳ではないので挨拶は控えた。
連れ合いは順々に並んだ作品をゆっくりと追っていく。私はといえば二度目のことゆえ会場中央に置かれた長椅子に陣取ってあれをこれをと眺めてはのんびりと構えている。と、そこへ席を外していた夫人が戻ってきて丁重な挨拶を受けた。遺作展の後、兄氏の画集発行も手がけるという。まとまったものを遺しておきたいと爽やかに明るくいう言葉に縁の深さ、絆の強さが感じ取られた。
いつのまにか幼な児は受付の二人のお嬢さんの傍にピッタリくっつくようにして立っていた。知らないお姉さんたちの筈なのにもうすっかりお友だち気分なのだ。

そういえば思いあたることがあった。わが家には幼な児がまだ生後9ヶ月ばかりだった頃の数枚の写真がある。A4版のものでそのうちの一枚は今も居間の壁に懸けているのだが、これらを撮ってくれたのが兄氏で、文月会のグループ展を家族で観に行った際のものだった。そのときの写真が数葉、後日兄氏から丁寧に包装して送られてきたのだが、デジタルカメラだったから当然これをプリントした際に、兄氏の家族の間で話題にでもなったのだろう。お嬢さんたちが「あの時の写真の赤チャン? もうこんなに大きくなったんだ!」とばかり感激の初面(?)となったとみえて、そんな話題が幼な児にも優しいお姉ちゃんたちと映って嬉しくてたまらない気持になっていたのだろう。なるほどそうだったかと合点はいったが、とにかくしばらくの間、降って湧いたようなお姉さんたちの出現に、傍から離れようとしない始末だった。

会場では松石君と逢った。丁度帰り際に岡山君夫妻もやって来た。
もうなかなか来れないだろうからと、これまで一度も立ち寄ったことのない「夕照庵」で抹茶を頂戴しながら一服したが、折角の建物も座敷へは上がれず、離れの茶室も覗けずでは興醒めもので、このあたりが公営施設らしいサービスのいたらなさで、何処も同じだ。

<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>


<秋−113>
 今朝の朝明雁が音聞きつ春日山もみぢにけらしわがこころ痛し  穂積皇子

万葉集、巻八、秋の雑歌。 −朝明(あさけ)
邦雄曰く、天武天皇第5皇子、母は蘇我赤兄の女、大津とは異母兄弟であった。異母妹但馬皇女との恋が万葉に隠顕する。恋とは直接に関わらぬこの「雁が音」の、沈痛で明晰な調べが心に沁む。万葉・八代集通じての、傑れた雁詠の随一であろう。「ことしげき里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐいて往なましものを」なる但馬皇女の作が、穂積皇子の歌に続く、と。


 もの思ふと月日のゆくも知らざりつ雁こそ鳴きて秋を告げけれ  よみ人知らず

後撰集、秋下、題知らず。
邦雄曰く、初雁の鳴く声にふっとわれに還り、もの思いに耽っていたことをあらためて確認する。忘我の境に沈んでいたゆえよしは伏せたまま、「知らざりつ」と、例外的な時の助動詞に托する。「こそ−告げけれ」の強勢が、強まらず、かえってあはれを響かせるところも、この歌の美しさのもと。後撰集の秋雁は下の巻頭よりやや後に12首、佳品を連ねる、と。


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