古畑の岨の立木にゐる鳩の‥‥

Wasureraretanihonjin

−表象の森− 忘れられた日本人

民俗学の泰斗宮本常一は、日本常民文化研究所にあって戦中から戦後の高度成長期まで全国各地をフィールドワーク、貴重かつ膨大な記録を残した。本書はその代表的な古典的名著。
俳優の坂本長利が一人芝居で演じてよく知られた「土佐源氏」も収録されている。
「対島にて」や「女の世間」、それに「世間師」など、すでに消え果ててしまったこの国の下層の民の暮らしぶりを生き生きと伝えて興味尽きないものがある。
放浪の旅に明け暮れた山頭火の日記を読んでいると、旅先で世間師たちと泊まり合わせたことなどがよく出てくるのだが、それに思わぬ肉付けをしてくれてイメージ豊かになったのも収穫の一。
各地をめぐり歩いて1200軒余りも家に宿泊したとされる宮本常一は1981(S56)年に鬼籍の人となるが、その活動の拠点たる日本常民文化研究所網野善彦らの強い薦めで、翌年の82(S57)年、神奈川大学の付属機関として継承されている。
その網野善彦が本書の解説のなかで、宮本の自伝的文章の「民俗学への道」や「民俗学の旅」を引きつつ、宮本民俗学の特質と射程のひろがりを説いている。


以下は、宮本常一の死の3年前(78年)に書かれた自伝的エッセイからの一節。
「私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(略) その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。(略) 進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。(略) 進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う。」


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−115>
 秋ごとに来る雁がねは白雲の旅の空にや世を過すらむ  凡河内躬恆

躬恆集、上、旅の雁行く。
邦雄曰く、同じ詞書で3首、「秋ごと」は最後に置かれた。「世を過すらむ」とは、一生を送るだろうとの意。中空の鳥をみれば、地にあって営巣する場面が浮かんでこない。「年ごとに友引きつらね来る雁を幾たび来ぬと問ふ人ぞなき」「ふるさとを思ひやりつつ来る雁の旅の心は空にぞあるらし」と、他の2首もまた、ねんごろに情を盡したところが印象に残る、と。


 古畑の岨の立木にゐる鳩の友呼ぶ声のすごき夕暮  西行

新古今集、雑中、題知らず。 岨(そば)−山の険しく切り立った斜面。
邦雄曰く、収穫の終わった畑の一方の崖の木立に鳩が鳴く。「すごき」は深沈たる趣き、陰々滅々の感も交えた淋しさを表す。晩秋の鳩という素材も勿論珍しいが、この夕暮の寂寥感の表現も破格な新味がある。宮廷歌人の、知りつつも試み得ぬ主題・技法であり、これこそ西行が新古今時代に復権・再評価される要因の大きな一つだ。異論も生ずる一首だろう、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。