さびしさの心のかぎり吹く風に‥‥

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−表象の森− 追悼のざわめき

劇場にわざわざ足を運んで映画を観るなどということはいったい何年ぶりであったろうか。この前に何を観たのか、いくら振り返っても思い出せないほどに遠い昔になってしまっている。
一昨日のこと、九条にあるシネヌーヴォへと出かけ、松井良彦監督の自主製作映画「追悼のざわめき」を観てみようと思い立ったのは、先日ある知人からの短いメールを受け取ったことからだった。
そのメールには「映画のエンドロールに協力/四方館・林田鉄とあり、キャストには女子高生役で4人の四方館所属の名前がありました」とのことであったのだが、はていつのことやらどんなものやらとんと思い出せぬ。「追悼のざわめき」というタイトルにもおぼろげながら記憶があるようなないようなで、いっかな判然としない。88(S63)年の完成というからそれ以前の数年間の出来事とすれば、当時はアングラ系の役者連や舞踏家たちともかなり交わりもあったから、そんなこともあって不思議はないが、誰から声がかかったかどんな経緯だったか、あれやこれやと思い返せど一向にリアルな場面が浮かんでこない。
どうにも落ち着きが悪いから、これは一見、観るに若くはないと上映時間を調べて出かけたわけだ。受付でシルバーと言ったら苦もなく1000円也で入れてくれたのはありがたかった。当日券なら1600円だからこの差は大きい。


上映時間150分はもはや老いの身にはやはり堪える。
監督の松井良彦は完成に5年を費やしたらしいが、とかく映画製作は金の工面が生命線、ノーギャラの出演者たちを募りながら一進一退を繰り返してはやっと完成にこぎつけたのだろう。主人公を追うカメラワークは、俯瞰からアップへ或いはぐるりとゆっくり回り込みもするが、ブレを起こして眼の疲れること夥しいが、画面はそんなことはお構いなしにどんどん切り替わって進む。
チラシから引けば、「物語は一人の孤独な青年のさすらいから始まる。彼はマネキンを菜穂子と名付け、彼女を愛し、愛の結晶が誕生することを夢想しはじめる。彼は次々に若い女性を惨殺し、その肉片を「菜穂子」に埋め込む。「菜穂子」に不思議な生命感が宿りはじめ,さまざまな人間がそのペントハウスに引き込まれてゆく。現実の街並はいつか時代感覚を失い、傷痍軍人やルンペンなど、敗戦直後を思わせるグロテスクなキャラクターが彷徨しはじめる。時代からも現実からも解き放たれた美しい少年少女が、ペントハウスに導かれてゆく。遊びはケンパしか知らない少女が「菜穂子」に「母」を感じ陶酔したとき、残酷な運命が二人を引き裂いてゆく‥‥。」
また、映画評論家大場正明の解説を引けば、「ここには,忌避され,隠蔽された異形のうごめきが,息苦しくなるほど濃密なモノクロの時間と空間の中に濃縮されている。しかし、それはただただグロテスクということではない。この映画は、そこに映し出されるあらゆる表像が無数の触手であるかのように、幼年時代の奥深の恐怖に発する身体や自我の境界にまつわる不安、あるいは、思春期における自己と他者に対する性の目覚めがもたらす不安へと、人々の記憶をまさぐり、否応なくその時間をさかのぼっていく。」
と、二つの引用でこの映画の世界がいかほどかは想像できようか。


マネキンへの異形の愛にしか自己を投入できぬ青年と、その心の深みはいざ知らず表層の意識においてはまだ穢れを知り初めぬ少年と少女、そして暗黒舞踏の白虎社を率いた大須賀勇が演じる見るからに異様な風体のルンペンの三者が、いつしか時空を超え出て絡みつつ、やがては同心円的な構造を有した三重奏ともなって響き合ってくるが、その表象世界はグロテスクとはいえ虚像に満ちたものだ。そこへ青年が身過ぎ世過ぎに職を得た下水管の清掃人夫といった仕事の雇い主である小人症の兄妹の存在が、醜悪な現実界へと引き戻す役割をなし、その世界を輻輳させる。とりわけ青年に想いを寄せてゆくこの妹が、リアルな存在感をどんどん増幅させてゆくことでマネキンの「菜穂子」と対照させられ、逆立する者にまで成り上がり、阿修羅のごとく破壊的な結末へと導く。
発表以来アングラシネマの画期をなすものとして折にふれ繰り返し上映されてきたというこの作品を、根底から支える映像としての構図と表象は、極北に位置するともいえるマネキンの「菜穂子」と小人症の妹の対照であり、グロテスクな生身の肉体を剥き出しのままに曝け出した妹役の存在であり、それゆえにこそ反転聖化された存在に拠っているのだろう。そういえば彼女の右胸には醜悪なスティグマ(聖痕)が大きく黒々と刻印されていた。


それにしても私にとって面白かったというか、なにより愉しませてくれたのは、嘗て知るところの怪優白藤茜が演じる傷痍軍人のグロテスクと軽妙さが混濁した熱演であったり、意想外なところでひょいと顔を出した、今は陶芸家の石田博君の飄々とした似而非紳士ぶりなどであった。石田君の登場には不意を突かれて驚きとともについ笑ってしまったほどだし、白藤の姿にはあまりに懐かしすぎて思わず胸が熱くなるほどだった。
白藤茜が私の創る舞台に特別出演をしてくれたのは86(S61)年の少女歌舞劇シリーズの一つであったが、どうにも思い出せぬまま観る私議となったこの映画への協力が、ちょうどその同じ頃に彼に頼まれてのことだったのだと、観終えて席を立つときようやく合点がいったような次第だった。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−122>
 秋風に夜渡る雁の音に立てて涙うつろふ庭の萩原  性助法親王

続後拾遺集、秋上、弘安百首歌奉りける時。
宝治元(1247)年−弘安5(1282)年、後嵯峨院第6皇子、宗尊親王後深草院の弟、亀山院の兄。5歳で仁和寺に入り、後まもなく出家。「とはずがたり」に登場する「有明の月」のモデルとされる。続古今集初出、勅撰集に37首。
邦雄曰く、雁は夜半に渡来する。その慌だしい羽音、ふと頭を挙げて「涙うつろふ」とは歌うものの、秋のあはれは身に沁む。天から地へ、雁から萩に眼を移し心を移し、秋雁の歌の中では趣向を新たにした一首である。作者は後嵯峨院皇子、仁和寺に入って二品に叙せられた。弘安百首は代表作として記憶される、と。


 さびしさの心のかぎり吹く風に鹿の音かさむ野べの夕暮  藤原良平

千五百番歌合、六百十三番、秋二。
文治元(1185)年−仁治元(1240)年、摂政関白九条兼実の子、異母兄藤原良経の猶子となる。従一位太政大臣後鳥羽院、順徳院歌壇で活躍、新古今集初出、勅撰入集18首。
邦雄曰く、良平は後京極良経の15歳下の異母弟。勅撰入集は多くはないが、千五百番歌合の百首には捨て難い作が数多ある。「さびしさの心のかぎり」は右が宜秋門院丹後の「唐衣裾野を過ぐる秋風にいかに袂のまづしをるらむ」で後鳥羽院折句御判は持。良平の縹渺たる第一・二句は、丹後の縁語・懸詞の妙を遙かに凌ぎ、私の眼には断然左勝だ、と。


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