鶉鳴く真野の入江の浜風に‥‥

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−世間虚仮− 親業の一日

10月に入りやっと秋らしくなった。
昨日は連れ合いが休みを取って日頃はなかなか適わぬ子ども孝行とばかり久しぶりに遊園地行。
鈴鹿サーキットにあるモートピアなる遊園地へは今回で2度目、片道120?余、些か遠いのが難で2時間半ほどのドライブは身体への負荷がきついが、もうじき6歳を迎える幼な児へのサービスとあれば否やは言われぬ。
長じてくれば愉しめる遊具も多くなるから勢い滞在時間も長くなる。これに付き合う老親の身にはいよいよ堪える一日だ。先頃までの暑さならさぞ悲鳴をあげていたことだろうが、晴れたり曇ったり、涼風そよぐなかでずいぶんと救われたようである。
午前9時過ぎに家を出て帰着は午後8時近くにもなっていたからかれこれ11時間、まことに親業とは大変な労ではあるが、連れ合いにはそんな労も大いに気晴らしともなってか、今朝は母娘揃って心なしか活き活きした表情とみえたは我田引水、贔屓の引き倒しか。
善哉々々。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−123>
 来し方も見えでながむる雁が音の羽風にはらふ床よ悲しな  清原元輔

元輔集。
邦雄曰く、詞書に「また女の亡くなりにたるに、雁が音の寒き風を問はぬとよみて侍りしに返しに」とあり、心を盡した哀傷歌である。雁の来し方とは亡き人の思い出、筑紫に在る知人の妻の訃報ゆえに、「羽風にはらふ床よ悲しな」なる下句の、切々たる調べも胸を打つものがある。贈答歌より成る元輔集の中に置けば、なお一入情趣が酌み取りうる歌の一つ、と。


 鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波寄る秋の夕暮  源俊頼

金葉集、秋。
邦雄曰く、堀河帝が探題の方法で歌を召された時、「薄」の題を引いて即詠したもの。定家が近代秀歌に「これは幽玄に面影かすかにさびしき様なり」と称えるが、その言を待つまでもなく、寂寥感が飽和状態を示すくらいよく出来た歌と言うべきである。真野の入江は、万葉の真野浦と真野草原を折衷した架空歌枕との説もあり、八雲御抄では近江とする、と。


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