寝覚めする枕にかすむ鹿の音は‥‥

Menotanjyou

−表象の森− カンブリア紀の爆発−「眼の誕生」

カンブリア紀の爆発は、生命史の要をなす瞬間である」とはS.J.グールドが著書「ワンダフル・ライフ」の中で述べた言だが、5億4300万年前から5億3800万年前のほぼ500万年という生物進化上の年代的サイクルでいえばごく短い間に、現生するすべての動物門が、体を覆う硬い殻を突如として獲得(但し、海綿動物、有櫛動物、刺胞動物は例外)したとされる、カンブリア紀の爆発がなぜ起きたのかを、光スイッチ説を論的根拠として三葉虫における「眼の誕生」によるものとの新説を素人にも判る懇切丁寧な運びで詳説してくれるのがA.パーカーの本書「眼の誕生−カンブリア紀大進化の謎を解く」だ。

一般にカンブリア紀の爆発といえば、カンブリア紀開始当初のわずか500万年間に、多様な動物グループ−門−が突如として出現した出来事であると解されているが、著者はそれを事実誤認という。即ち、その直前までにすでに登場していたすべての動物門が、突如として多様で複雑な外的携帯をもつにいたった進化上の大異変こそが、カンブリア紀の爆発にほかならない。そしてそのきっかけが「眼」の獲得だった、というのである。
生物はその発生の当初から太陽光の恩恵を受けていたことは自明のことだが、生物が太陽光を視覚信号として本格的に利用し始めたこと、即ち本格的な「眼」を獲得したのはまさにカンブリア紀初頭のことであり、そのことで世界が一変したというのが著者の言う「光スイッチ説」の骨子であり、いわば肉食動物が視覚を獲得したことで喰う−喰われるの関係が劇的に変化し、これが進化の陶太圧として働いて、自らの体を硬く装甲で覆うべき必要が生じたというのである。いわば「眼」の誕生は諸々の生物群こぞって軍備拡張路線の激化へと走らせることとなったわけだ。

地球上に登場した「最初の眼」とはいかなるものだったか?
それは進化にどんな影響をもたらしたのか?
まだ若く気鋭の生物学者たる著者は、高校生物程度の知識があれば一応読み遂せるという点においても、よく行き届いた論の構成をしており、我々のような一般読者にもかなりお奨めの書だ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−124>
 寝覚めする枕にかすむ鹿の音はただ秋の夜の夢にやあるらむ  十市遠忠

遠忠詠草、大永七年中、寝覚に鹿の声を聞きて。
邦雄曰く、詞書は必ずしも現実の見聞と関わりはない。特筆すべきは、原則として必ず春のものとされていた修辞「かすむ」を、秋の鹿の声に用いていることだろう。未明の枕辺に絶え絶えに聞こえる、妻恋う鹿の細い声を伝えてまことに巧みである。「鹿の音」を「花の香」に、「秋」を「春」に変えても、そのまま佳作として通るだろう。一音余りの結句も快い、と。


 などさらに秋かと問はむ唐錦龍田の山の紅葉する世を  よみ人知らず

後撰集、秋下、題知らず。
邦雄曰く、王朝和歌の紅葉は、綾錦、唐錦と錦盡しで、現代人の眼からは曲のないことだが、安土桃山のゴブラン織同様、絢爛たる幻を描き出すものだったろう。この、輝き渡る紅葉のたけなわの季節を見ながら、今更改めて「秋か」と疑う要も謂われもないと、理の当然の反語表現に、美を強調する。これも古歌のめでたさの一つ、儀式に似た美の一典型である、と。



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