山彦のこたふる宿のさ夜衣‥‥

Db070510121

−世間虚仮− 連休疲れ?

体育の日は野分でもないのに秋には珍しい前夜からの激しい雷雨が残って終日悪天候
7日の日曜に運動会など済ませておれば幸いだが、この日を文字通り予定していたところはみな順延になったことだろう。
週末や祝祭日などになるとこれを綴るのが滞りがちになるのは、私の場合大概稽古日となっている所為なのだが、この連休は日曜が高校時代の同窓会、昨日が稽古とあって、世間の休日のほうが却って孤塁の時間を持ちにくいからだ。
思春期の成長期に心を許しあえたような旧い友と一緒に居ると、それが何十年ぶりと遠い彼方の過去のことであったとしても、昔のそのままの空気が、感触が、そこに漂っているかのごとく感じられる。そんな二人と余人を交えず短いながら共に時間が過ごせたことは愉しく心地よいものであった。
だが本体の同窓会、総会・懇親会と続いた数時間は、これは無論準備やらなにやらの所為もあるのだが、かなり心身に疲れを残したようである。まあ日中の酒宴などこの年になれば誰でもそうなろうが、私も含めて世話役諸氏は多かれ少なかれ幾許かの虚脱感とともにかなりぐったりしているにちがいない。
身体に常ならぬ重さを感じながら稽古へと出かけたものの集中力を切らしたままに打ち過ぎてしまったようで反省しきりだが、身体のダルさはなお残されたたまま、裏腹な心身にまだ翻弄されている始末だ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−125>
 山彦のこたふる宿のさ夜衣わがうつ音やほかに聞くらむ  後嵯峨院

古今集、秋下、山家擣衣を。
邦雄曰く、為家・光俊ら呉越同舟選者撰進の続古今集の擣衣歌は秀作揃い、それぞれに在来の集のものとは趣向を変えてぉり、後嵯峨院御製も結句の「外に聞くらむ」で、一首の焦点が一瞬次元を移し、深沈たるものが生まれる。続後撰・秋下の巻首にも後嵯峨院の御製あり、「夜や寒きしづの苧環(をだまき)くりかへしいやしき閨に衣うつなり」もまた心に沁みる秀作である、と。


 紅葉ゆゑ家も忘れて明かすかな帰らば色や薄くなるとて  源順

源順集。
邦雄曰く、詞書には「秋の野に色々の花紅葉散り給ふ。林のもとに遊ぶ人あり。鷹据えたる人もあり」。天元2(979)年、順68歳10月の屏風歌。詞は月毎に配した絵の解説であろうが、歌は絵を離れて、自由に、むしろ諧謔すら交えて、楽しく面白い。この下句など、順の天衣無縫の技巧の一例であり、微笑も誘われる。同時代人中でも移植を誇る、と。


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