春の夜のみじかき夢を呼子鳥‥‥

Dostoevsky

−表象の森− ドストエフスキーの森

「父−皇帝−神の殺害をめぐる。原罪の物語」とは亀山郁夫著「ドストエフスキー 父殺しの文学」上下本に記された帯のコピーだ。
上巻の帯裏には
「斧の重さか、それとも『神』の囁きか?‥‥罪の重さに正しく見あう罰の重さなど果たしてあるのか。流刑地でのラスコーリニコフの虚けた姿は、屋根裏部屋で彼がひたすら培った観念の巨大さを、その観念を一時共有したドストエフスキー自身がシベリアで経験した「回心」の道のりの長さを暗示するものなのです。震えようとしない心、訪れてこない悔い‥‥死せるキリスト=ラスコーリニコフの絶望的な闘いはまさにここからはじまります。」と本文から引かれ、
また下巻の帯裏には
「『私は蛇だ』―、その自覚こそが、18歳のフョードルを癲癇に落とし込み、57歳のドストエフスキーに『カラマーゾフの兄弟』の執筆へと向かわせた根本的な動機だったのです。私は、農奴を唆して、父を殺した。いま、裁かれるべきは他ならぬ私だ。堕落した父と、その死を願う自分との、この、原罪における同一化を措いて、父・フョードルの名づけは存在しないのです。」と同様に引かれている。

著者は「父殺し」と「使嗾(しそう)−唆すこと」というキーワードを駆使してドストエフスキー作品の深遠な森へと読者を慫慂させる。そこでは迷宮に彷徨う如く或いは樹海の深い森に迷い込んだが如く、ただただ饒舌で能弁な著者の疾走する語りを滝のように浴びつづける覚悟を要する。
本書の構成はドストエフスキーの代表的長編の読みの本線ともいうべき「講義」と、彼の「伝記」と、執筆の構想に影響を与えたとみられる同時代に起こった血なまぐさい現実の「事件と証言」と、さらには小品も含めた個々の作品の細部を参照言及する「テクスト」と、それぞれ題された4群の各小論を、まさに縄綯えか紡ぎ織りのように絡ませ重奏させ論を進めていく。斯様な綴れ織りも異色といえば異色だが、全容を一望すればまるで大河小説的ドストエフスキー論とも、またバフチンの形容を拝借すればポリフォニック・ドストエフスキー論というべき観を呈している。

若い頃に文学体験というほどのものとはついぞ縁のなかった私がこの上巻を読みはじめた時は、ドストエフスキーについては「罪と罰」をのみ知るだけだったから、その世界のなにほども知らずただ未知の森へと踏み込んだようなものである。
上巻を読みおえたのは昨年の1月末、それからずっと打棄っておいて、今年になって「地下室の手記」と「カラマーゾフの兄弟」を遅々としながらもなんとか読み果せて、このほどやっと下巻に着手、めでたく?読了となった次第だが、六十路を越えてやっとわが身にも少しはまとまった体でドストエフスキー体験なるものを経た感がするのは本書の功徳と感謝せねばなるまい。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−127>
 移り来る秋のなごりの限りだに夕日に残る峰のもみぢ葉  宇津宮景綱

沙弥蓮愉集、秋、宇津宮社の九月九日まつりの時よみ侍る。
邦雄曰く、景綱は宇津宮頼綱蓮生入道の孫、13世紀末の没。武者歌人としては出色の才あり、勅撰入集も30余首。この紅葉の微妙な翳りなど新古今調にはない。家集には紅葉の歌が多く、「今日もまた夕日になりぬ長月の移りとまらぬ秋のもみぢ葉」「秋の色もまだ深からぬもみぢ葉の薄紅に降る時雨かな」等、淡々としてまことに個性的、と。


 春の夜のみじかき夢を呼子鳥覚むる枕にうつ衣かな  木下長嘯子

挙白集、秋、擣衣驚夢。
邦雄曰く、一首の中に春・夏を閲し、冬を奏でるという水際だった技巧をみせている。畳みかけ追いかけ、打って響くような律動的な修辞も小気味よく、長嘯子の独擅場と思われる。「主知らぬ恨みこそあれ小夜衣夢残せとは打たぬものから」も同題のいま一首。繊細巧妙の極とも言うべき文体、絵空事もここまでいくと感に堪えぬ。擣衣歌の行きつく果てか、と。


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