朝夕に花待つころは思ひ寝の‥‥

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−世間虚仮− 吾れは思案投げ首、幼な児は溌剌元気印

4日ぶりの言挙げである。
このところ書くことが疎かになっているのには二つばかり理由がある。
その一つは、近頃読んだ蔵本由紀著の「非線形科学」(集英社新書)に自身の思考回路が乱れているからだ。
非線形科学とは、生命体のリズムや同期現象、カオスやゆらぎ、フラクタルやネットワーク理論など、非線形非平衡系現象における数理学の総称だが、本書はこれらの理論について極力数式を用いず解説してくれた画期的な教科書といってもいいだろう。
あえて教科書と称するのは、本書を教材として可能なかぎりにおいて理解すべきもの、そう自身に課さねばと一読して思ったからだ。しかし理数系の思考回路は遠く眠りに墜ちたままでどうにも理解が及ばぬ、判然とせぬまま時間ばかりが過ぎてゆく。
理数得意の頭脳明晰なる御仁あらば、誰か本書に基づきつつ私に講義でもしてくれないものかと、そうでもしないかぎりまがりなりにも本書をマスターすることなどおよそできそうもなく、他力本願に縋ってみたくもなっているのだが、さてどうしたものか‥‥。


もう一つは、
このブログを書き始めてよりすでにまる3年が過ぎたが、つい先日、これをすべて紙ベースに打ち出してみた。
A4にて計1174頁、一部私のブログに対する他者からのコメントも含まれるから、全てが私自身の書き残したものではないが、それにしても書きも書いたり、よく綴ってきたものと感心したり呆れたり。
このところ時間をみつけてはそのファイルをざっと読み返したりしているものだから、新しく筆を起こすのになかなかエンジンがかからないという始末なのだ。
他者からのコメントが豊富なのは書き始めてから3ヶ月ばかり経った04年12月頃から05年6月頃までの半年余りに集中している。この頃のエコログ、Echo空間はコメントにおける対話もまた濃密なもので、いま読み返してみても興の削がれることがなく、なかなかの味わい。一時期にせよネットでのコミュニケーションがかくも濃密にあり得たことの果報はまこと捨て難いものと思い新たにしているこの頃でもあるのだ。


さて、話題は転じて幼な児のことなど。
昨日の日曜は伊豆諸島から房総沖を快足で通過した台風20号の影響か、近畿地方はまさに爽風秋天。蒼空の秋日和を満喫しつつ能勢方面へと車を走らせた。めざすはアスレチックセンターのある「能勢の郷」。
阪神高速の11号池田線から能勢方面へと延伸された道路を走れば、池田の五月山公園を越えたあたり、国道173号線に出て能勢電と並行するように走ることとなるから、能勢行きもずいぶん近くなったものである。渋滞さえなければ自宅から所要時間1時間余りで着く。
今夏、信州行きの旅で、戸隠のチビッ子忍者村でアスレチックに興じた幼な児は、今度は幾分か難易度の上がった本格派(?)のコースに、初めのうちこそ恐る恐るの態で臨んでいたが、計50近くもある各ポイントのいくつかを巡るうちに度胸もついてきたかとみえて、しばしの休憩を挟んで延べ3時間ほども費やして完全制覇。各ポイント通過するたび入場の際に貰ったカードに母親と一緒に自分で○をつけていくのだが、どうやらこの子は「よく出来ました」とばかり○を獲得することとなるとやたら情熱を燃やす性向があるらしく、山道のアップダウンもものともせず後半になるほどに調子を上げていたのには、その根性たるや恐るべしと連れ合いと顔を合わせては笑ったものである。
そういえば、毎週通うピアノ教室でも、この教室では楽譜を演奏するばかりか、五線譜を書いたり音符を読んだりといくつもの教材が与えられているのだが、彼女は一つ仕上げるたびに先生から○を貰うのをやはり格別の励みとしているようで、教室から帰るたびに「るっちゃん、ぜんぶ○をもらったよ」と得意げに報告するのがいまや習慣となっている。
何事によらず幼児期におけるこういった達成感への歓びと拘りは、大なり小なり誰しもが示す性向だろうが、彼女の場合、未知の新しい場面では必ず緊張や強ばりを示しなかなか自身を開放できないという、決して順応性の高くない身であってみれば、その反動としてこういった性向が強くなってくるのかもしれない。

○ばかり貰っていたってご機嫌の幼な児、その溌剌とした日々に比べ、前述の如く私のほうはこのところ些か低空飛行気味か。このぶんではとても○など貰えそうもない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−73
 朝夕に花待つころは思ひ寝の夢のうちにぞ咲きはじめける  崇徳院

千載集、春上、百首の歌召しける時、春の歌とてよませ給うける。
邦雄曰く、思ひ寝の花は現実にさきがけて夢の中で咲きはじめる。心の沖を薄紅に染めて、そのはるばると華やぐ光景は、あるいはうつつの姿に勝ろう。久安6(1150)年の崇徳帝は31歳、平治の乱の十年前である。千載集では、御製の前に同百首の藤原季通作「春はなほ花の匂もさもあらばただ身にしむは曙の空」が見え、共に清新な調べである、と。


 うつせみの浮世のなかの桜花むべもはかなき色に咲きけり  安達長景

長景集、春、花歌。
邦雄曰く、桜の花のめでたさはさまざまに歌われてきたが「はかなき色」と嘆じた作は珍しかろう。儚さは主として咲けばたちまちに散る花の命への言葉であった。第一・二句の同義反復語が、第四句に色濃く翳りを落とし、異色の花の歌となった。作者の母は新古今歌人飛鳥井雅経の息女。北条時宗の死に殉じて出家、鎌倉御家人中では随一の重臣であった、と。


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