見渡せば向つ嶺の上の花にほひ‥‥

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−世間虚仮− 豊作のドングリ

今年はドングリがたくさん落ちていて里山は豊作だとか。
こんな年は、山に棲む野生の動物たちも、里に下りてきて農家に迷惑をかけることは少ないに違いないと。

そういえば、昨日久し振りに幼な児を連れて蜻蛉池公園に行ったのだが、いつもの遊具施設にも遊び疲れた子どもとひとしきりドングリ拾いをしてみたのだが、あるわあるわ、見つけるほどに子どもは興が乗ってしばし夢中になる。このあと二人で数えてみれば大小合わせて100を超えていた。
幼な児は拾い集めたドングリを袋に入れて、帰り道もずっと大事そうに抱えて歩く。樹々の影が長く伸びた秋天のたそがれ時、澄み渡った空気が美味しかった。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−75>
 桜花にほふともなく春来ればなどか歎きの茂りのみする  伊勢

伊勢集、春ものおもひけるに。
邦雄曰く、古今・春上、在原棟梁の「春立てど花は匂はぬ山里はもの憂かる音に鶯ぞ鳴く」を上句に写した。後撰・春中には「よみ人知らず」として入選、それもまた一興、歎きと呼ぶ木が繁るなど、ふと誹諧歌を思わせ、憂愁悲歎の色濃い歌に思いがけぬ微笑を発見した心地。伊勢集は息女中務が編纂、村上天皇に献上したと伝える。冒頭歌30首は歌物語、と。


 見渡せば向つ嶺の上の花にほひ照りて立てるは愛しき誰が妻  大伴家持

万葉集、巻二十、館門に在りて江南の美女を見て作る歌一首。
邦雄曰く、結句七音でこれが桜花ならず、花さながら佳人の隠喩で、第四句までがほとんど序詞に等しいことが判る。だがたとえ詞書にもことわっていても、爛漫の、盛りの山桜を一応はありありと思い描かざるを得ぬまでの、圧倒的な調べをもっていて、それもまた愉しい。江南は揚子江の南岸だが、この歌では単に堀江の南。唐詩的美観は一首に明らか、と。


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