あだにのみ移ろひぞ行く‥‥

Alti200653

−世間虚仮− インフルエンザ

北極振動の影響とかで強い寒冷前線が列島北部に大雪を降らせている。
足取りの遅い紅葉前線にやきもきしていたかと思えば急変の寒波到来に思わずブルッと身震いをした。
そういえばインフルエンザもすでに流行の兆しとか、例年になく早いペースで、学級閉鎖も各地で起こっているという。
インフルエンザといえば近頃読んだ池内了著「科学を読む愉しみ」に「四千万人を殺したインフルエンザ」(著者ビート・ディヴィス)なる書が紹介されていた。
俗にスペイン風邪と呼ばれた、第一次大戦の終りの頃、1918年から翌年にかけて未曾有の大流行をしたもので、感染者6億人、死者4000万〜5000万人に及んだという。当時の世界人口が精々12億人までだったとされており、2人に一人が感染し、60人に一人がこれによって死んだことになるのだから、凄まじいの一語に尽きる。
スペインが発生源でもないのにそう呼ばれるようになったのは、当時のスペイン国王アルファンソ13世が罹患し、宮廷が大騒ぎとなったことからしく、実際の流行のきざはしはアメリカのシカゴ近辺だったからというから、スペイン国民にとっては迷惑このうえない濡れ衣だろう。
後に、このスペイン風邪のウィルスは鳥インフルエンザウィルスに由来するものと証明されているようである。それまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、感染するようになったわけだ。
ウィルスの突然変異による新型インフルエンザが突然猛威を奮い出す危険性はつねに潜んでおり、容易に変異しうるウィルスは、決して我々人類に白旗をあげることはないのだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−82>
 あだにのみ移ろひぞ行くかげろふの夕花桜風にまかせて  一條實経

圓明寺関白集、春、夕花。
邦雄曰く、散る花と移ろう花の微妙な差を、もの柔らかな二句切れに暗示した。第三・四句に渡る「かげろふの夕花桜」は、枕詞の意外な復活活用に、眼を瞠るような効果あり、まことに脆美の極み、13世紀末の春の歌の中での、人に知られぬ絶唱の一つか。作者は一條家の祖、寛元4(1246)年23歳で摂政となった人。新古今の明星、良経の孫にあたる、と。


 契りおく花とならびの岡の辺にあはれ幾世の春を過さむ  兼好

兼好法師集。
邦雄曰く、仁和寺の北、雙ケ岡に墓所を作り、そこに桜を植えた時の詠。死後も共にあろうと花に約束したと歌うのも心に沁むが、死後あの世で、さていかほどの歳月をと推量するあたり、ひそかに慄然とする。「花とならびの」に、冥府での姿も浮かんでくる所為であろう。徒然草の作者で、後二條院に仕えながら、30歳前後で出家して、雙ケ岡に庵した、と。


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