さくら色に衣はふかく染めて着む‥‥

Alti200661

−表象の森− 安治川Live

お招ばれ戴いたこともあってめずらしく昨夜は安治川・心のライブと銘打たれた催しに家族で出かけた。
本人曰く子どもの頃から吃音があり手慰みのギターとばかり過ごしてきたという、歌う際もトークにおいてさえもほとんど客席に目線を合わせず、人見知りの激しい気質を思わせる訥々と語りとふるまいのヤスムロコウイチ=安室光一はもう50歳前後だろうか。
ギターの腕は達者と定評あるところらしいが残念ながら門外漢の私にはあまりよく判らぬ。音響の所為もあるのか些か単調に流れたようにみえて、私などには堪能するというには遠かった。歌は旨い、一曲の聴かせどころをよく心得たテクニシャンだ。ときに諷刺の効いた作詞も垣間見えたりして、持ち歌の幅は結構ひろいが、情感をこめると少々過剰に走って単調になりがちか。
乾かすことと濡れること、その対照を強くすればぐんと良くなる筈なのだが、惜しい。
この人、70年代の終わりから80年代、憂歌団などBlues全盛の頃から活躍していたらしい。天王寺野音でよくライブがあった頃だから、ひょっとするとその頃どこかで眼にしているのかもしれない。
客席を占めたほとんどの人が、そんな文化?とかなり疎遠だったかとみえる年長世代であったから、彼にとってはこのライブ、自分を解放しきれず最後までノりにくいものだったように映った。
会場となったMODA HALL 1階のラウンジは従来ライブハウスでもなんでもない。そこへ「安治川を愛する会」なる市民団体がこの企画を持ち込んでの街おこし運動の一環としての初ライブという訳で、自ずと客層と出演者との距離が初めから少々遠かったのが、この企画の成否を決定づけていたようである。
これに懲りず馴染みを重ねていくことが課題になろう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−86>
 さくら色に衣はふかく染めて着む花の散りなむのちら形見に  紀有朋

古今集、春上、題知らず。
邦雄曰く、桜襲は表白・裏二藍、または裏赤花で中倍紫の三重、他にも樺桜、白桜、薄花桜、桜萌黄とそれぞれ微妙な差はあるが、およそ淡紅の匂い立つような色目ではない。あくまでも心映えであり、春に盡す思いの深さの象徴だ。花が散った後のことまで、春たけなわに偲ぶそのあはれが、倒置法の調べによって、あえかに奏でられる。作者は友則の父、と。


 越えにけり世はあらましの末ならで人待つ山の花の白波  木下長嘯子

挙白集、春、冷泉為景朝臣、花の頃訪はむと頼めて違ひ侍りければ。
邦雄曰く、奔放で、人の意表を衝いた初句切れにまず驚く。此の世は予測の結果とはうらはら、山の桜が波頭のように白く泡立ち、人を待つと、一気呵成に、しかも曲線を描くような律調で歌い納めるあたり、長嘯子は鬼才というほかはない。冷泉為景への、やや怒りを含んだ贈歌ゆえ、独特の雰囲気をもつのは当然だが、詞書を抜きにしても、佳品として通る、と。


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