Nengaalti2008illust01

−世間虚仮− 恥ずかしながら

戊は、茂(ボウ)をその語源とし、草木繁茂して盛大なるをあらわす。
子は、孳(ジ)にして、ふえるの意、新しい生命の萌し、活気のはじめなり。
されば、平成戊子は、激動の始めとなるか、ならぬか。
InternetやMailがかほどに普及するも、賀状の配達総数は年々増加の傾向にあるとか。
私の場合、賀状(ハガキ)の年詞は今年より止めることにした。
年に一度きりの音信なれば、より固有の刻印を帯びたものでありたいと思うのだ。
先は長いようで短い。
自身に残された日数は、かりになお20年あるとしても、たかだか7300日にすぎず、
きわめて限られたものでしかない。
昨日も一昨日も稽古に暮れた。
さすがに今日一日は休みだが、明日も明後日もまた稽古である。
他者からみれば、一介の老残、世捨て人に若かず。
ならばこの先、十年二十年の、物狂い。
恥ずかしながら、生涯、河原者です。

    2008年戊子 年詞   四方館亭主/林田鉄


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−97>
 散る花も世を浮雲となりにけりむなしき空をうつす池水  藤原良経

秋篠月清集、百首愚草、花月百首、花五十首。
邦雄曰く、珠玉の家集として聞こえる秋篠月清集巻頭の百首歌の、殊に心に沁む落花の賦。世を憂きものと観じるのは常道ながら、下句の醒めきった、冷ややかな眼はどうであろう。建久元(1190)年21歳の秋、天才良経は水面に虚無の映るのを視ていた。「明け方の深山の春の風さびて心砕けと散る桜かな」の斬新鮮麗な修辞に、新古今時代の曙光をありありと見る、と。


 またや見む交野の御野の桜狩花の雪散る春のあけぼの  藤原俊成

新古今集、春下、摂政太政大臣家に、五首歌よみ侍りけるに。
邦雄曰く、そのかみ業平が惟喬親王に供奉して一日を楽しんだ桜狩りの禁野交野、太々とした初句切れ、三句切れが、景色そのもののように晴れやかにめでたい。建久6(1195)年、耆宿俊成満81歳の春2月、良経邸での作であった。まことの雪散る冬が元来は狩りの季節、春秋は獲物少なく、花・紅葉の余興とされたとか。なお新古今・春下の落花詠はこの歌に始まる、と。



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