瀧の水木のもと近く流れずば‥‥

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Information「Arti Buyoh Festival 2008」

−世間虚仮− ‘07 逝き去りし人々

昨年の物故者たち一覧−毎日新聞12/31付−を見つつ。
‘70(S45)年の「よど号」ハイジャック事件の元赤軍派メンバー田中義三(58歳)が1月1日死去している。
田中は’96年偽ドル事件容疑でカンボジアにて米国側に身柄拘束、タイに移送、起訴されるも無罪となり、タイ当局から日本に引き渡され、’03年懲役12年の有罪判決確定、熊本刑務所にて服役していたが、肝臓癌の病状悪化で’06年12月刑は執行停止され、千葉徳洲会病院に入院していた。
同じく1月には、即席麺「チキンラーメン」を世に出した日清食品創業者の安東百福(96歳)、版画家の吉原英雄(76歳)が鬼籍の人に。
2月、関西では馴染みの深い大衆芸能評論家の大久保玲(86歳)、蛇笏の息であり俳人飯田龍太(86歳)、ベストセラー「14歳の哲学」の著者、池田晶子は早世の46歳。
3月、経済物や伝記物作家の城山三郎(79歳)、DNA研究の草分けでもあった分子生物学者の渡辺格(90歳)、無責任男で一世を風靡した植木等(80歳)
4月、ソ連解体から市場経済化のロシアへと強権を発揮したボリス・エリツィン(76歳)、
5月、スキャンダルで大阪知事から失墜、侘しく余生をおくった横山ノック(75歳)、日本のポストモダン思想に牽引的役割を担った今村仁司(65歳)、戦後の「文学座」を支え続けた俳優・北村和夫(80歳)、社会派の映画監督として息の長い仕事をした熊井啓(76歳)、芥川賞における初の女性選考委員ともなった作家の大庭みな子(76歳)、ZARDのボーカル坂井泉水の若すぎる不慮の死(40歳)。
6月、ピアニスト羽田健太郎(58歳)も早世に過ぎよう。古流にあって戦後の前衛演劇を牽引した観世栄夫(79歳)、保守本流の元総理・宮沢喜一(87歳)は大蔵官僚時代、講和条約交渉に深く関わってもいる。
7月、言語学国語学柴田武(88歳)、「小町風伝」や「水の駅」など沈黙劇を創出した演出家の太田省吾(67歳)、戦後の共産党に君臨しつづけた宮本顯治(98歳)は、妻・百合子の死よりなお56年を生きたことになる。晩年は文化庁長官となって、「関西元気文化圏」を提唱したユング心理学者の河合隼雄(79歳)、晩年の「九条の会」呼びかけなど生涯ラジカルに生きつづけたベ平連の闘将・小田実(75歳)、20世紀映画界の両巨頭イングマール・ベルイマン(89歳)とミケランジェロ・アントニオーニ(94歳) が奇しくも同じ30日に鬼籍へ。
8月、作詞家阿久悠(70歳)の死は大晦日NHK紅白で特別編成をもって悼まれた。世界のトップモデルとして活躍した山口小夜子(57歳)、多作の大衆作家・西村寿行(76歳)
9月、戦中の大本営参謀が戦後は伊藤忠の会長としてなどへと転身、政財界の参謀役を演じた瀬島龍三(95歳)、三大テノール歌手ルチアーノ・ババロッティ(71歳)の死は世界中の話題をさらったが、パントマイムの神様マルセル・マルソー(84歳)の訃報はその影に隠れた感、60年代であろう彼の何度目かの来日公演を私は観ており、その卓抜した技巧の冴えには惜しみなく賞讃をおくったものの、いわゆる感動というものからは遠かったように記憶する。日本の女性科学者を顕彰する「猿橋賞」を創設した地球化学者の猿橋勝子(87歳)。
10月、「マニエリスム芸術論」の美術史家・若桑みどり(71歳)、昨年の都知事選や参院選で耳目を集めた風狂の建築家・黒川紀章(73歳)の急逝、曼荼羅を描きつづけた前衛画家の前田常作(81歳)、東京オリンピックの水のヒロイン木原光知子(59歳)、リクルート事件で独り泥をかぶった感の政治家・藤波孝生(74歳)、八千草薫を妻に得た映画監督の谷口千吉(95歳)は長老だが意外と話題作に恵まれていない。
11月、「裸者と死者」の米作家ノーマン・メイラー(84歳)、「神様、仏様、稲尾様」と謳われた鉄腕・稲尾和久(70歳)、映画「愛と哀しみのボレロ」を生んだモーリス・ベジャール(80歳)の振付は舞踊界を超えて世界を圧倒した。
12月、仏文専攻ながら大衆文化論に多くの著作をものした多田道太郎(83歳)、電子音楽の先駆けとなった現代音楽の作曲家シュトックハウゼン(79歳)、「悪名」や「眠狂四郎」シリーズを手がけた映画監督・田中徳三(87歳)、自らガン告白をしてなお参院選に挑んだ山本孝史(58歳)、そして暮れも押し迫った27日、パキスタンの元首相ベナジル・ブット(54歳)暗殺のニュースが世界を駆けた。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−98>
 瀧の水木のもと近く流れずばうたかた花をありと見ましや  小大君

小大君集、遣水に桜の花の流るるを見て。
邦雄曰く、水泡に浮かび流れに揉まれる花弁を見て、源の散り散る桜樹を思う。上句のしっかと言い添えたことわり、後拾遺集巻首に、したたかな諷刺をこめた新年の歌を選ばれ、この人ありと知られた作者の面目も見える。小町集にもほぼ同じ歌が、詞書の桜を「菊」として編入されている。さていずれを採るか。菊の香と桜の色と、私は後者を楽しみたい、と。


 み吉野の嶺の花園風吹けば麓に曇る春の夜の月  西園寺實氏

玉葉集、春下、春月を。
邦雄曰く、山桜の群がるあたりこそ「花園」、志賀の花園に対する称であろう。嶺から山裾に吹き下ろす風を、後鳥羽院の制詞的秀句「嵐も白き」を向こうに廻して「麓に曇る」と、心憎い、味のある秀句で表現した。一首は夜目にも仄白い光景。實氏は常盤井入道前太政大臣西園寺公経の長男。新勅撰集以下に250首近く入選を見、その数、父を凌ぐ、と。


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