桜色の庭の春風あともなし‥‥

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Information「Arti Buyoh Festival 2008」

−温故一葉− K師夫人に

かえりみれば、学生時代より芝居に踊りにと、常人ならぬ世界に迷い込んだ所為でか、知友へ便りをするとなれば、公演などの際のお知らせ・お誘いのごとき、まことに味気ないものばかりで、私信の類などこの年になるまでほとんど書いたことがなく、その意味ではこれほどすげない不人情の輩はめずらしいのではあるまいか。
昨年のいつだったか、ふと眼にしたことに心動かされ、その日その日の思いにまかせ、いまはただ懐かしき人々の、その一人ひとりに、一葉の音信をしたためていくべしと、心秘かに思い定めていた。
独りよがりの思いつきにすぎない振る舞いなれば、いかほどつづくものやらまったく予測もつかぬ。
数年ぶりやら数十年振りに、突然便りを貰うほうこそ迷惑千万、なにごとかと呆れるやら怪しむやらで、歓迎されざることも多かろうが、必ずしも返信を求めてのものではないので、そこは勘弁して貰おうと勝手に決め込んでもいる。
こうして数年のあいだ、ブログというものに、日々よしなしごとやらMEMOの類を書き留めてきて、もうずいぶんの量になっているが、これらも所詮みな私ごとのつれづれの草なれば、これからしばらくは、その一隅を、この極私的にすぎよう便りの一枚々々が座を占めることになろうとて、だれ憚ることもあるまいと思うのだ。
という次第で、このたびはK師夫人宛の一枚。


年詞に代えて一筆啓上申し上げます。
亡師三回忌にお伺いしたままご無沙汰ばかりしておりますが、その後如何お暮らしでしょうか。
山中の侘び住まい、足下の患いなどなにかとご不便な日々をお過ごしではないかと推察されるにも拘わらず、お見舞いにも参らぬまま打ち過ぎ申し訳ありません。

昨年の夏の終り、Aさん急逝の報を、大阪市教職員OBの会報誌かなにかで知ったI.K君からMailを貰ったのですが、すでにあとのまつり、如何ともしがたく胸の内でのみ彼の冥福を祈るばかりでありました。
それこそ何十年振りかに彼の家を訪ねた折り、傍らの酸素ボンベを指しながら「片肺を失くしたとはいえ、これさえ抱いていれば車で出かけることもできるし、それほど不便をかこっている訳でもないよ」と、此方の心配をよそに意外に明るい声で語っていた姿が想い起こされ、それから4年ほどの歳月がかほど症状の悪化を促していたものかと、時の流れの重さを感じ入るとともに、沙汰やみになりがちな自身の怠惰を唾棄したくなるような日々でした。

想い返せば、私がK師と初めてお逢いしたのは60年の市岡入学時でした。御堂会館での「山羊の歌」公演が62年の初冬で、これを観たのが二年生の終り頃。幾何学的構成の勝った抽象的な作品群は、当時の私には取り付く島もないほどに訳が判らず、この夜は一睡もできず、ただ頭がガンガンするばかりで夜を明かしました。
この苦行(?)にも似た経験が、その後の私の行く末を決する伏線となっていたことは、私の場合、自身を思い返して間違いのないところです。

若かりし頃の昔話などあまり尋ねる機会もなく打ち過ぎてとうとう逝かれてしまわれましたが、法村で舞踊もしていたとはいえ、どうみても演劇青年であったK師が、どんな心の変化で、或いはどんな機縁で、邦正美の、ラバンの舞踊へ、と大きく転身されたのか、この辺のところがどうしても腑に落ちないまま、今日に至っております。邦正美の代表作「黄色い時間」を観たという話は聞いたことがありますが、果たしてこれが直接の契機となったものかどうか、今となっては皆目見当もつかず、私の想像はそこで閉ざされたまま動き得ません。一度機会あれば、そんな昔話を是非お聴かせ戴きたいものと願いおります。

呉々もお身体お大切に、お健やかに過ごされますよう、お祈り申し上げます。
  ’08戊子1.5  林田鉄 拝


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−99>
 桜色の庭の春風あともなし問はばぞ人の雪とだに見む  藤原定家

新古今集、春下、千五百番歌合に。
邦雄曰く、桜色は現実の桜花びらと庭の白砂が、天然に染め出す襲色目であろう。「あともなし」の三句切れの言明が風の色をなお鮮明に浮かばせる。定家独特の否定による強調。下句は「花の雪散る」と同趣異工に過ぎず、一に上句の水際だった修辞が見どころ。歌合では、番が隆信の「風馨る花の雫に袖濡れて空懐かしき春雨の雲」で、父俊成の判は持、と。


 春されば百舌鳥の草潜き見えずともわれは見やらむ君が辺りをば  作者未詳

万葉集、巻十、春の相聞、鳥に寄す。
邦雄曰く、春が来れば鵙は草深く潜ったかに、ほとんど平地にはいなくなる。山林に移るのだ。草隠れして見えないように、あの人も身を潜めているが、私は住居の辺りを見張っていようと、単純率直に恋心を歌う。鳥の習性が序詞風に使われながら、まだ「自然」は歌の中で息づき、若者の愛の表白の背景として、新鮮な働きを見せている。後世は「草茎」、と。


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