残りゆく有明の月の洩る影に‥‥

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Information「Arti Buyoh Festival 2008」

−温故一葉− 同志社「第三」時代の先輩女性に

年詞に代えて一筆啓上
お年賀拝受、懐かしい想いとともに昔の貴女の面影が去来しました。
甚だ勝手ながら本年よりハガキでの年詞の挨拶を止めましたので、悪しからずご容赦願います。ただMailは利用しております。

もう何年前になりますか、佐川隆二さんの提唱で「第三劇場」のOB会が初めて催されたとき、取る物も取り敢えず駆けつけ、徳さん、那須さん、山岡さん、辰巳さん、尾崎さん、邨チャン、お幣さんたち、懐かしい面々とひととき過ごしましたが、画竜点睛を欠くとは些か大袈裟なれど、貴女の姿が見られないのには一抹の淋しさがあったように想われました。その後の会からのお誘いには残念ながら参れぬままに打ち過ぎております。

到頭というべきか、やっというべきか、この3月で退職される由、それにしても長い間の教職生活でしたネ、月次ですが心から「お疲れ様でした」と添えさせていただきます。
いつでしたか一度きり、私が舞踊を初めてまだ2.3年の頃でしょうか、貴女がお務めの学校にお邪魔したことがありましたネ。貴女はクラスの担任をされていたのでしょう、お逢いした折のその教室の光景が遠い記憶とはいえ一枚の絵として甦えります。

学籍こそ3年ありましたが、私の同志社時代とは実質は2年の夏まで、「第三」に居た1年にほぼ集約されており、それは短い期間であったればこそ、いろんな他者に照り返された彩りのおかげで、原色の、つかのまの青春の一頁といった感がします。
そのなかで、大阪勢の3人、那須さんと貴女と私が、判で押したように連れ立って快速電車に揺られて帰った姿が、その色とりどりの一頁に、太い線でその画面全体を引き締めてくれるMotifになっている、といえましょうか。
10年、15年とまだまだ先の長い行路、きっとどこかでお逢いできる、そんなめぐりあわせのあることを期しつつ‥‥。
いつまでもお達者で。  08戊子 1.7  林田鉄 拝


彼女は同志社「第三劇場」時代の二年先輩だが、大学は京都女子大。おそらく今でもそうだろうが、部外団体だった「第三」には学外からの参加もO.Kで、同女や京女からの入団組も女性陣を構成していた。
私が入った頃の「第三」は創部10年目くらいで、当時学内に7劇団もひしめきあっていたという学生演劇のなお隆盛期でもあったなかで、その特色もかなり際立った感があったといえるだろう。
ここに登場している固有名はみんな先輩にあたり、そのなかの「徳さん」こと菊川徳之助氏は私と入れ違いの4年先輩だが、彼だけが卒業後も演劇を続け、現在、近畿大学文芸学部舞台芸術専攻の教授職にある一方、京都・大阪などで演出家としても活動している。
書面の相手の彼女も彼女なりに演劇に拘りつづけた。奉職した帝塚山学院の中等部でずっと演劇部の顧問として指導に明け暮れた生活であったろう。
相手はまだ中学生、それも女子ばかりの学校演劇の世界が、彼女の情熱のどれほどを占め得たかは計り知れないが、40年余をひたすら真摯に貫いてきたであろうことは、彼女の真っ直ぐな気質からして容易に想像できる。
その彼女と逢ったのは22.3歳の頃だったろうから、すでに40年の歳月が流れている。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−101>
 残りゆく有明の月の洩る影にほのぼの落つる葉隠れの花  式子内親王

萱斎院御集、前小斎院御百首(百首歌第一)、春
邦雄曰く、萱斎院御集の三つの百首歌は、春秋の調べに妙趣一際であるが、殊に暮春は、ほとほと感に堪えぬ秀歌を見る。百首歌第一はほとんどが勅撰集に洩れているが、葉隠れの花など窈窕として優雅を極め、第四句「ほのぼの落つる」のあたり、後の玉葉歌人に濃く強く影響を与えているのではなかろうか。初句は「残りなく」説もあり、これまた可、と。


 散りにけりあはれ恨みの誰なれば花のあと問ふ春の山風  寂蓮

新古今集、春下、千五百番歌合に。
邦雄曰く、花を吹き荒らした憎い風が、散り果てた山桜を訪ねている。恨みの誰にあれば、この問いかけは、他ならぬ風自身であろうにとの答えを隠している。激しい初句切れの響は、自然に「あはれ」を導き出す。歌合の番は藤原良平「散る折も降るに紛ひし花なればまた木のもとに残る泡雪」で、俊成判は持。寂蓮はこの歌合の後60余歳で世を去る、と。


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