はかなさをほかにも言はじ桜花‥‥

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Information「Arti Buyoh Festival 2008」

−表象の森− 賢治の緊那羅と四次元時空

先ずは岩波の仏教辞典を引く。
緊那羅」はサンスクリット語kinnaraの音写。
歌神、天界の楽師で、特に美しい声をもつことで知られる。もとインドの物語文学では、ヒマラヤ山のクベーラ神の世界の住人で、歌舞音曲に秀でた半人半獣(馬首人身)の生き物として知られたが、仏教では乾闥婆(ケンダツバ)とともに天竜八部衆に組み入れられ、仏法を守護する神となった。
わが国では「法華文句」に見られる、香山の大樹緊那羅が仏前で8万4千の音楽を奏し、摩訶迦葉がその妙音に威儀を忘れて立ち踊ったという故事が著名。

宮沢賢治が篤く法華経に帰依し、田中智学の国柱会に入信していたことはよく知られるところで、「天の鼓手、緊那羅のこどもら」と「法華文句」のこの故事に倣った詩句が、「春と修羅」の中の長編詩「小岩井農場」に見られるのも人口に膾炙することたびたびである。


小岩井農場・パート四」
  いま日を横ぎる黒雲は
  侏羅や白亜のまつくらな森林のなか
  爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ
  その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
  たれも見てゐないその地質時代の林の底を
  水は濁ってどんどん流れた
   −略−
  すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
  ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
  またほのぼのとかゞやいてわらふ
  みんなすあしのこどもらだ
  ちらちら瓔珞もゆれているし
  めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
  緑金寂静のほのほをたもち
  これらはあるひは天の鼓手、緊那羅のこどもら


また、引用の詩句冒頭の「侏羅(ジュラ)や白亜」の用語に見られるように、少年時代、鉱物採集などに熱中する地質学徒でもあった賢治は、その同時代とりわけ世界を席巻したアインシュタイン相対性理論に魅了されてもいる。
春と修羅」における序詩が、
  すべてこれらの命題は
  心象や時間それ自身の性質として
  第四次延長のなかで主張されます
と結ばれているように、見田宗介宮沢賢治−存在の祭りの中へ」に言わせれば、
「賢治はやがてこのすきとおった気層の中に遠心する巨大な時間の集積を、天空の地質学ともいうべき空間の像として構成することとなる」
「現代物理学の世界像に立脚し」つつ、「賢治がこのことから感受しているものは、虚無ではなく、虚無と反対のもの、世界という現象の奇蹟にたいする鮮烈な感覚である」となる。

時に大正11(1922)年、賢治26歳の11月17日、アインシュタインが来日、12月29日までの40日を越える滞在で、日本中が空前のアインシュタイン・ブームに沸き返った。
まさにこの渦中の11月27日、最愛の妹トシが病死するという悲劇に見舞われたのだが、この頃すでに賢治は、詩集「春の修羅」と童話集「注文の多い料理店」の草稿を仕上げていた。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−102>
 はかなさをほかにも言はじ桜花咲きては散りぬあはれ世の中  藤原実定

新古今集、春下、題知らず。
邦雄曰く、後徳大寺左大臣の家集、林下集には「花の歌とて詠める」の詞書あり。古歌における「はかなさ」の象徴は露に陽炎、夢に幻が通例であるが、桜の他にないと冷やかに、かつ軽やかに言いきる。その斜に流れるような細みの調べが、喩えようもない悲しみを誘い、「あはれ世の中」の謳い文句も魂に響く。世の評価は高くないが代表作の随一、と。


 逢坂やこずゑの花を吹くからに嵐ぞかすむ関の杉むら  宮内卿

新古今集、春下、五十首歌奉りし中に、関路花を。
邦雄曰く、建仁元(1201)年冬の仙洞句題五十首歌、「若草」の宮内卿と謳われる千五百番歌合と、ほぼ同時期の冴え渡った技法を見る。第四句の「嵐ぞかすむ」は、この秀句に懸けた天才少女の息吹を聴くようだ。若草の歌と同じく、緑と白の鮮烈な対照が眼に浮かぶ。「花誘ふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく船の跡見ゆるまで」も、同じ五十首歌の「湖上花」、と。


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